2016-09-07

昔の体験談を  NO 4969

病院食今日水曜日はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは「善の行い」で、これまでの人生で何か善いことをしただろうかと振り返ったら、「献血」をしたことを思い出し、赤十字へ寄付をしたことも懐かしく思い出した。

昼前、少しだけ歩いてみようと玄関を出たら、「水分を摂りなさいよ」と声を掛けられ、それが医院の先生だったことに気付いた。

今日の号は「幸せ列車」で紹介されている「10年前の独り言」から再掲を。


禁煙談議から  NO 1618
2006-09-05

幼馴染みとの会話、昭和30年代の初めに登場したテレビの話題が出た。

近所の電気屋さんにしかテレビがなく、力道山のプロレスを観るのに5円支払ったというのもあったし、NHKの「ちろりん村とくるみの木」から始まり、西部劇のローハイドやララミー牧場というタイトルを耳に懐かしいひとときを過ごした。

1時間ほどの間だったが、テーブルの上の灰皿を見ると吸殻がいっぱい。彼はかなりのヘビースモーカー。私が入院を機に禁煙したということを先に言うべきだったと後悔。

しかし、喫煙していた時代にそんな思いを周囲の人達に及ぼしてきたことも事実。それは反省では済まない重い罪悪感も抱いている。

昔からずっと妻や娘に言われ続け、孫の誕生を機になんてことも通り過ぎてしまった愚かな行動だが、この13日で禁煙から半年を迎えることになる。

今日の朝刊に「葬儀式場は禁煙を」という投書記事があり、ちょっと考えさせられた。

葬祭専門の式場は「焼香」対策として換気設備に配慮されているが、参列者へのサービス観点からロビーに喫煙コーナーを設けているケースが多いようだ。

葬儀には「御斎(おとき)」というしきたりから飲食を伴うものだが、会食をされる部屋でも「禁煙」標示をしていることは少なく、それらを体験された方が提起されていたのだが、そのご心情の背景には、式場が厳粛な場所であることを訴えておられていたような気がする。

考えてみれば葬儀式場だけではなくレストランから喫茶店まで、人の集まる場所の禁煙は、その経営者が喫煙者か否かで空間サービス対応に異なりが生じている筈。

交通機関や公共の場の禁煙が常識となった昨今、我々葬儀社もサービスの中で「禁煙」をどのように捉えるかという対策も重要になって来たようだ。

そんなことを考えながら近くの蕎麦屋さんに入ると、顔馴染みの人達が偶然にも禁煙談議で盛り上がっていたのだから不思議なことだが、そこで面白い意見が出てきたので紹介を。

「喫煙を病気として認め、禁煙に保険が適用されることになったが、あれはタバコを原因とする病気が多く、増え続ける医療保険負担を軽減する予防医学対策として進められたものだ」

その反論がユニークだった。「禁煙者が増えて病気が減ることは結構なこと。確かに健康保険の負担は少なくなるだろうが、みんな長生きしたら年金が貰えなくなるぞ」

そこで2人の喫煙者が拍手、何やら胸を張ってタバコに火を点け、いかにもゆったりとくゆらしたので店内に笑い声が。

今日の写真は病院食を。
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