2022-06-04

思い出したこと  ǸО 8898

特急 はつかり 所用があって道頓堀へ出掛けたが、人流の多さにびっくり。また感染が広まらなければいいのだが。誉思いながら歩いて来た。

アメリカ統治時代の沖縄に行ったのは高校2年生の夏休みだったが、低気圧の関係で海は大荒れで、関西汽船の浮島丸で66時間の公開は最悪だった。

那覇港到着の前日、那覇と久米島を結ぶ船舶の「みどり丸」が転覆して多くの犠牲者が出ていたが、1週間沖縄で過し、那覇港から過去島まで新造船の「ひめゆり丸」は天候に恵まれて全く揺れることもなく、快適な船旅となって鹿児島港へ到着し、西鹿児島駅から東京行のSL「急行きりしま」で帰阪した。

戦績をネットで辿ることが出来るが、浮島丸は小笠原航路で活用されていたし、「ひめゆり丸」はフィリピンに譲渡され、大改造されて就航していたが、ガソリンを満載したタンカーと衝突事故を起こし、歴史に残る海難事故となっていた。

その沖縄航路にやがて就航したのが「波の上丸」で、その後に韓国へ譲渡され、大改造されて大事故で沈没した「セヴォール号」だったことを知って衝撃を受けた。

先月、テレビのニュースの中で「森永ヒ素ミルク事件」のことを報じていたが、私の同業者に私と同年代で被害者になった人物がいた。彼のお兄さんとは青年部の関係があり、ある年の研修会で仙台に行くことになり、彼が幹事として行程を決めたが、「急行銀河」のĀ寝台で東京に行き、山も手線で植野に移動し、「特急はつかり」で仙台に行ったが、上野を発車してすぐに車内放送があり、「この列車は非常に速く走りますので横揺れもしまう。網棚のお荷物が落ちないようにお気を付けください」と流れたのでびっくりした。

「特急はつかり」はディーゼル特急で独特のフォルムのボンネットスタイルで、「こだま型」とは全く別物だった。

その研修会の会場は松島を見下ろす高台のホテルだったが、東北のひなびた温泉巡りをしたかった私はレンタカーを予約していたが、大阪の同業者の人達から一緒に行くと言われ、知られる温泉ばかりで散財してきた思い出となっている。

「飯坂温泉」「東山温泉」「鬼怒川温泉」の3泊だったが、セドリックのレンタカーで運転を私が担当していた。


その時の買って来た「こけし」は今でも我が家に残っている。

1泊目の旅館に着いた時、無性に「サクランボ」が食べたくなり。スーパーマーケットに行ってワンパックを購入したことも憶えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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