2024-01-31

怒りをぶつけて  NО 10094

我々夫婦の散歩コースに入っていたのが四天王寺で、東門から入って西門に抜け、四天王寺病院横から谷町筋を天王寺駅へ歩き、手ⓇⓇ打懲役に戻って来る行程だった。

妻は水泳教室にも通っていたこともあり、お気に入りのホテルのメンバーに登録していてよくプールを利用していた。

いつも私に「歩かないとダメ」と行っており、大病を患った私が退院した際には二日続けて鶴橋駅まで行って、長谷寺、室生寺と行ったことがあった。長谷寺は長谷寺駅から15分ほど歩くだけだが、室生寺までは駅から随分と離れており、バスを利用せずに歩いたら大変だったことを憶えている。

お陰で随分と足が鍛えられてその後の歩行が楽になったが、腹部動脈瘤の種々の退院後に草履で歩いたら踵を痛めてしまい、経緯性外科で診察を受けたら、草履が悪かったみたいで不必要な骨が出来ていて大変な苦労を強いられた思い出もある。

室生寺の往復は大変だったので忘れられない。途中で老人ホームみたいな施設があり、互いがこんなところへ入居しないようにしようと話すこともあったが、6年前から妻は病院を転々とするようになり、yついには施設へ入居してしまった。

いつか帰ってくると信じていたが「御骨」で帰って来たことがショックで、ずっと怒りが込み上げてくる。

折あしくコロナ禍が発生し、病院の玄関も閉まった状態が続き、天王寺駅の構内も閑散としていたことを思い出すが、警察病院、第二警察病院、鉄道病院と転院し、やがて入居した施設からグループのバックである病院へ運ばれ、そこで亡くなってしまったが、1年間ほど全く会話ができなかったことが残念であり、まさか猫まで死んでしまうとは信じられなかった。

今日は若いヘルパーさんが来宅して洗い物と掃除をしてくれ、買い物に行ってくれたが、明日もヘルパーさんがやって来てくれることになっている。

前述の長谷寺は「御花」のお寺として知られるが、階段が多かったことが印象に残っており、帰路に入った昼食の食堂で随分と待たされたことを憶えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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