2019-11-14

振り返って  NO 8635

テレビ出演から街を歩いていると電動アシストの自転車が多くなったことを目にする。どんなに負荷を助けてくれるのかは知らないが、高齢者に優しい発明で、地球環境からすればエコにも繋がり、日に何回か見掛けるヤマト宅急便のリヤカーを引っ張る自転車は素晴らしいと思う。

阪神淡路大震災の時にリヤカーが重宝されて大活躍をしたことも語り継がれているが、路面の問題から車が通れなかった場所にも活用されたので見直されたことも知られている。

阪神淡路大震災の犠牲者がおられた学校の講堂にご遺族からの要請で寝台自動車を向かわせたが、途中で何度も渋滞に巻き込まれ、道路の裂け目に板が不可欠と電話連絡があったことを憶えている。

講堂に多くの犠牲者が安置されていたが、検死が済まないとどうにもならず、検視官の不足から大変な状況になっており、搬送担当者に別のご遺族から何処でもいいから搬送してと泣きつかれた出来事も起きていた。

阪神間の火葬場の損壊や道路事情から機能が失われ、大阪市へ依頼される事態に進んだが、2日遅れから3日、4日と影響が及び、普通の葬儀でも1週間待たなければ仮葬が出来ないという」問題にもなっていた。

一部の行政には条例が妨げになった事実も生じていた。それは市民以外の火葬を受け付け出来ないと言うことで、行政同士が電話で解決出来たはずなのに、その対応まで想定されていなかった問題が表面化した出来事でもあった。

当時に瓜破斎場に何度も随行していた私だが、自衛隊のヘリで八尾空港を経て搬送されるようになってからますます普通の葬儀への影響が及ぶようになり、弊社のスタッフ達も担当しているお客様を毎日回って対応する日々が続いた。

交流のある神戸の公詢社は2500人以上の犠牲者を担当されており、研修会で拝聴した社長の体験談は涙なしでは聞けない重みのある事実だった。

彼が神戸市郊外の山手に企画された葬祭式場「迎賓館」が素晴らしい。私の密葬はここでと頼みたいほど充実しており、何度か関係者の会合があったので懐かしい。

葬儀の式場も変化しつつある。「大は小を兼ねる」という言葉から大型式場が多かったが、家族葬の潮流になって小さな式場が求められ、他のお客様と会わない環境が望まれている。

熊本の同業者に立ち寄り、荒尾市まで送って貰う際、新しくオープンした式場を見せて貰ったが、「リビング葬」を打ち出した中々の出来映えで、支配人を務める若い女性と葬儀について語り合ったことも憶えている。

数日前、近所の横断歩道の所で原付バイクに乗られたご住職「久し振り」と声を掛けられた。何度もご一緒に仕事を担当したご仏縁もあったが、最後は本堂で檀家さん達と囲碁を楽しんだことで、ご高齢なので「現役ですか?」と伺うと、もう引退する予定と仰っていた。

グルメで知られるご住職で、仏教界の役員をされており、何度かお付き合いをさせて頂いたが、私の友人の割烹のオヤジが「一番神経を遣うお客さんだ」と言っていた。

今日は夕食に桃谷にあるお気に入りのレストランへ行った。メニューを見て初めて注文した「オムレツ」が素晴らしかった。いつも食べるステーキを止め、ビーフカツにしたが、こちらも美味しく幸せなひとときとなった。

間もなく松阪へ行く予定があるが、肉は血糖値に関しては「ご飯より」低いのでよいと考えている。

今日の写真は前にも掲載したことのあるテレビ番組の1枚を。「森本毅郎さん」「清水国明さん」「渡辺トモ子さん」とご一緒だった。森本さんは過日にご自分のラジオ番組でお身体の不調からしばらく静養されるようなニュースもあったが、この番組をさつえいした場所は新橋のSLが置かれた所のビルの地下で、3人のカメラマン全員が若い女性だったことが印象に残っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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