2018-05-07

GWが過ぎて  NO 8193

ハイカラ函館市立博物館の郷土資料館「金森洋物館」の館長をされているのは「清雅舎」の社長だが、彼女は私の友人で、夫婦で函館に行った際に何度もお世話になったことがある。

その「清雅舎」のHPを訪問したら、資料館のキャラクターが誕生し、その名前を募集されていることを知った。このHPの製作者は「幸せ列車」の管理人さんで、このキャラクターのデザイン創作もそうみたいだが、金森倉庫群や金森洋物館の創業者の誕生日を締め切り日としていた。

さて、遠い昔に「ジュディー・アンドリュース」主演の「メリー・ポピンズ」の映画を観たが、先月に紹介した「若葉のつぶやき」のブログを訪問したら、彼女が「メリー・ポピンズ」の舞台劇を観て来たことを書かれていた。

「メリー・ポピンズ」はミュージカルで、「ディック・バン・ダイク」が共演して「チムチムチェリー」が主題歌の1曲となっていた記憶があるが、この映画を観るきっかけになったのは「サウンド。ミュージック」で彼女が「マリア」に扮して素晴らしい歌声を耳にしたからだった。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を。

こんな考え方も!  NO 2195   2008-05-06

ミャンマーでサイクロンによる多くの被害者、上海で路線バスの火災、アマゾン川のマナウス近くで船が転覆するという大事故も。世界中で毎日どれほどの被害者が生まれているのだろうかと想像すると恐ろしい。

今日、今、自身が存在していることは正に奇跡という考えも成り立つ筈。何かの事件に巻き込まれて被害者になることなく現在に至り、若かりし頃の交通事故や一昨年の手術入院などを考えると「幸運」という不思議な寿命を与えられているような気がする。

故に「被害者になるな!」「加害者になるな!」が口癖になったのだろうが、誰も明日のこと、いや1秒後のことも分からないものである。

連休中の高速道路での事故が多く報じられていたが、それぞれの方が目的地へ向けて出発される時、そんなことに遭遇するなんて全く予想もしなかっただろう し、その家族や親戚の人達、また友人やご近所の人達も訃報を耳にされて愕然とされる現実を迎えられる。いやはや交通事故とは実に恐ろしいものである。

ある科学者が書いた文章に衝撃を受けたことがある。「交通事故は偶然ではなく必然で発生するもの」とあったからだ。

その説の中に「脇見」「飲酒」「携帯電話」などが原因することが何より顕著に物語っているとあり、「信号無視」「スピード違反」「前方不注意」など全ては事故につながる「必然性」が秘められていると結論していた。

降雪する高速道路を冬用タイヤを装着しないで走行すればスリップするのも当たり前で、それも必然という世界になるだろうが、渋滞の最後尾に停止していて前方不注意の車に追突されることまで必然とされたら何か不公平な感じ、追突車側に必然につながる原因があっても、当てられた側には災難としか考えられないように思えてならないではないか。

しかし、上述の説の中に、最後尾で停車することになった運命に必然性があると分析していたのが興味深いところで、高速道路に入るまでのどこかの信号で停止した回数が変っていたり、横着な自転車を避けて数秒の時間差が生じたり、高速道路で何台を追い越したか や追い越されたかによって渋滞の中の位置に変化が生じ、そこに必然という結果があるというのである。

何やらややこしくて理解し難い内容になってしまったが、それらをはっきりと思い出したのが過去に発生した中越地震の際のレスキュー隊による「赤ちゃん」の救出劇だ。

亡くなられたお母さんの運転で、どこかでブレーキを踏んでいなかったり、スピードをもう少しアップしていたら現場を通過していて難を逃れたかもしれないし、少しだけスピードを落として走行していたら前方で起きたがけ崩れを目に手前で急停車されたかもしれないのである。

そんなことを考えていると、私を含めて、今、存命している人達は「ラッキー」だという結論に至るのだが、<ひょっとして?>と、体内の病気だけには臆病 に、そして慎重に検査をされ、何事も早期発見、早期治療で寿命を延ばす行動だけは積極的に行いたいもので、それが「必然」を打破することの出来る唯一の道 かもしれない。

今日の写真は市立函館博物館郷土資料館「金森洋物館」の館内の写真を1枚。
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