2018-02-26

土産話  NO 8129

豊後森機関庫日課の朝の散歩で天王寺に向かう教育大学のテニスコートの所で、すれ違う人物から名前を呼ばれてびっくりした。

共通の友人の関係から過去にゴルフをご一緒したことがあり、懐かしく昔話をして互いがもう少し元気でこの世に在住しようと交わした。

歩いていると友人から電話が。先に喫茶店に行って待っていると言われて少し待たせたが、彼は数日前に奥さんと由布院や二日市温泉に行って来ていた。

行程についてアドバイスをしていたが、湯布院の高級旅館で1泊してから久留米に向かうのに大変だったと嘆いていた。

前にも書いたが、久大本線は豪雨による被害で鉄橋が流され、日田駅と光岡(輝夫か)駅間がバスによる代行運転が行われているが、そんな事情意外に列車の本数が激減しており、東西間の移動は想像以上に大変な状況になっている。

湯布院の町で観光後に食事を済ませ、由布院駅に行って時刻表を確認したら驚いたそうで、信じられなかった体験談を聞かされた。

日田行きの「9時21分」から「16時19分」まで「14時04分」発の豊後森行き1本しかなく、その豊後森駅を利用すると豊後森駅で1時間近く待たなければならず、こんな不便な運転本数では観光客が少なくなり、復興に差し支えるのではとぼやいていた。

豊後森駅には有名なSLの転車台があるが、奥さんにそんな興味はなく、ただ駅の構内で1時間を過ごしていたそうだが、日田駅から代行バスを利用して光岡駅に行き、そこから久留米を経て鹿児島本線の二日市まで移動、予約していた旅館に着いた時には二人とも疲れてしまって大変だったと語っていた、

我々夫婦も九州の親戚に不幸があり、葬儀に参列出来なかったので法要に行こうかと考えているが、地震の被害で倒壊した家を新築で建て直した親戚も数軒あり、新築祝いを持参しなければならないので旅費や宿泊費を含めて大きな出費となってしまう。

熊本県や大分県には親戚、知人、友人が多く在住しているが、地震による家屋の被害が出たが、幸いにして負傷することがなかったことを知って安堵したが、あの地震の時にテレビの画面に速報のテロップが流れ、「震度7」と出たのを目にした時は「表示ミスでは?」と思ったが、それが事実ですぐにそれよりも大きな余震が発生したこったことも衝撃だった。

観光地も様々な企画を打ち出している。友人夫妻が立ち寄って過ごした湯布院の温泉旅館の中には、「当館は夕食は対応していません」というところがあり、町にある食堂やレストランと提携して案内をしているところも少なくない。

リーズナブルに済ませようと考える利用客には食堂のオリジナル「丼」を出前して貰い、部屋で食事をするという旅館も存在するので面白い。

湯布院から少し熊本県寄りに「山下湖」があり、そこに存在していた九重レークサイドホテルがお気に入りだったが、1975年の春に発生した地震で1階部分が押しつぶされてしまい、その後に建て替えられていたが観光客の激減もあって閉館したので寂しい話である。

湯布院からすぐ近くに城島高原があり、半世紀前に利用した時は「別府ニューグランド
ホテル」名称で、当時は関西汽船が経営していたと記憶している。

今日の写真は豊後森駅の機関庫を。
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