2002-03-08

「逝かれし人へ」・・・誕生秘話   後編

余裕のない状態での変更決断は、すぐに頭と指先の回転を狂わすこととなった。単純に曲を変えればいいだけなのに、つい色気を出してしまい、「つなぎ」として4回の転調をやってしまった。それは、私の最も嫌いで苦手な「コード」、そして再度の転調。
考えてみれば、メロディを出さずにコードの転調ばかりを行えば、非常に申し訳ないことだが、弔事を奉呈されている人への「あてつけ」のように感じた人もいた筈だ。

 やがて、コードは<Em>になっていた。これなら大丈夫。あとは何かマイナー調の曲を
弾けばいいだけ、と思ったとき、弔辞の方に変化が起きた。手にされていた奉書を落とされてしまったのである。

参列者の耳からはBGMが消え去り、注目がご本人一点に絞られる。そんな空間の中で、
<プロデュースと司会だけに集中しておけばよかった。なんで奏者まで演じてしまったのか>、そんな後悔に襲われている私。

 弔辞の方は、何もなかったように拾い上げられ、やがて、「ここまで終わっていた筈だ、うん」と言われて再開をされる。
奉書に目をやると、まだまだ残っていそうだし、それは、耳から入るお言葉の内容からも2.3分で終わる気配など全く感じられない。

<参りました。お付き合いします>、そんな開き直った気持ちは、いつしか知らない旋律に指を運ばせることになった。

それは、本当に自然に生まれたメロディである。勝手に指先を招いてくれるように一曲が誕生し、救われた瞬間でもあった。

きっと、神様仏様からのプレゼントかも知れないが、葬儀の終了後、ある参列者から「最後の曲はなんと言う曲ですか?」と訊ねられたとき、とっさに、自然に「逝かれし人へ」と言葉がすべった。そんな不思議な体験が誕生の裏側の秘められた物語である。
 
 これまで担当をさせていただいた1万人以上の方々との「えにし」への感謝の思い、それだけは間違いなく込められていると自負しつつあるこの頃です。
でも、長い弔辞のお方とのご縁がなければ誕生していなかったことも事実です。 
 ・・ごめんなさい。
※ オリジナルCD「慈曲」の誕生は、コラム「有為転変」のNO26・27・28に掲載されています。
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