2003-07-07

コミュニケーション    NO 478

満中陰を迎えられ、片付けに参上していたスタッフが嬉しいお言葉を頂戴してきた。

 ご当家は、弊社が葬儀を担当させていただいてから1ヶ月も経たない内に奥様の実家で不幸があられ、葬儀での葬儀社選びがどれだけ大切かを体験されたとおっしゃったそうだ。

 ここで弊社の葬儀内容について、他者との格差を書くつもりはない。そんなことは歴然としているとの自負があるからだが、どうしても触れておきたいことがあるのでしたためる。

 ご遺族は、葬儀が終わってから本当の悲しみと寂しさが始まると言われている。その救いとなるのが七日毎に訪れる法要ということもあるだろう。

 弊社は、この七日毎に中陰机の上に飾る仏花を届けるサービスを行っている。そのきっかけとなったのは、遺族側とのコミュニケーションというアフターサービス。葬儀を終えてからの様々なご質問の対応でお喜びをいただいている。

 訪問したスタッフが長時間帰ってこないことも多いが、生前の思い出話を拝聴することも大切な癒しのサービス。これからも続けていくつもりだ。

 このサービスを始めたのは10数年前だが、これで学んだことがあるので紹介しよう。

 あるご遺族が中陰中の法要に、故人が好きだった花を購入されて飾られたことがあったが、この花が派手な色でお寺様からクレームが発生した。

 中陰机の上の花は弊社の届けたもの。当然、地味な仏花である。派手な花は机の横に花瓶に入れられ置かれてあった。

 お寺さんのクレーム発言がきっと強烈だったと拝察するが、伴侶を亡くされた奥様が立腹され、次の法要からお寺様を変えられるという事件に発展した。

 この時に担当していたスタッフが大変だった。奥様とお寺様の両方から怒りの思いをぶつけられ、間に入って右往左往した思い出がある。

 我々葬儀社の立場は裁判官や審判にはなれないが、時には弁護士となり、筋が通らない場合には検事の役割を果たすことも必要だろうが、葬儀や法要での揉め事だけは避けて欲しいもの。いつも悲しまれるのは発言権のない故人となるからだ。

 最近、「お寺を変えたいのですが」という電話が多くなってきた。家と寺のつながりを考えると大変な問題であるが、それらを超越されて行動されるケースが増えてきた。

 その問題の背景に、家と住職のコミュニケーションの欠落があるように思えてならないところ。医師の世界のインフォームド・コンセントではないが、宗教者にもこの発想が求められてきているような気がしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net