2007-03-18

礼節の先に?  NO 1808


 卒業式のシーズン、近年、国旗や国歌についての話題が出て来るが、ふと思い出した出来事があるので紹介をしよう。

 友人に旅行会社の役員がいる。彼は語学に堪能で、随分昔から海外添乗員として活躍してきた歴史があった。

 その彼が仕事の中で体験した二つの出来事、そこに学ぶべきことがあるのではと考えさせられた。

 空港の団体待ち合わせ場所に募集したツアー客が集まってきた。荷物のチェックをしている中に、あちこちの国旗のシールを貼り付けてあるバッグが目に留まり興味を抱いて確認したら、持ち主である女性は「これまで行ったことのある国の国旗です」と自慢げに答えたそうだ。

 そのスーツケースが思わぬところで問題になった。過去に行ったことのある国に入国し、空港で荷物を受け取った後で時間待ちをしている時、彼女の行動にクレームが起きたのである。

  何も気にせずにバッグに腰掛けていた彼女、「国旗の上に腰を降ろすとは失礼だ」というのが事件の勃発原因。平身低頭謝罪をすることになった苦い体験だった そうだが、我々日本人が外国旅行に出掛ける際、バッグに「日の丸」を貼り付けている人もいることは確か。そこに腰掛けるだけで蔑視される問題があることを 知りたいもの。礼節や尊厳とは人の世の基本なのである。

 都議選でも国旗や国歌が問題討議にされそうだが、単純に個人思想で判断されるべ きことではないだろうし、それが教育という世界に絡められてややこしく誤解が生じることも避けたいもの。もっと真剣に論議される問題だろうし、ホリエモン みたいな人物が登場してきた社会だからこそ考えたいではないか。

 数日前、ある会合でホリエモンの判決予想が話題になったが、その大半が執行猶予という意見に対抗し、私は「2年半の実刑」と言ったら偶然に当たり、今日に会った数人から「なぜ、そう思った?」と質問攻めに。

 何も深く考えなかった私、世間を「ナメテイル」姿勢に「×」ならぬ「罰」をというつもりだった。控訴が行われ、民事も長引くことが予想されるが、世間を騒がしたことも罪なのである。

 礼節を忘れ「お金」に尊厳を抱いていた彼、そこに群がった連中も多かったが、今やその時の光景が滑稽に見えるだろう。

 昔、あの世の旅について小説を書いた。その中に主人公が閻魔大王と会談し、大王がある商売人を裁く場面が出てくるが、大王の傍に「情破離」という名の鏡が存在し、そこに生前の行動がビデオみたいに映し出されるというものを思い出す。

葬儀の仕事に従事し、考えることは飾られる祭壇側から見る参列者側の光景。そこにいる人達がどんな思いで送ってくれているのかが覗けたら凄いではないか。

 この世の裁判官達が「無罪」をという判決を下しても、初七日から始まる「あの世の裁判官」はそうは行かないみたい。

人生とは、あの世の存在を考えることから初めて欲しいと願うこの頃ではないか。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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