2006-07-19

防犯の道?  NO 1571


 大学生の犯罪が増えている。そこまで育んだ親の心情を慮るとやるせないし、家族に「犯罪者が!」という衝撃は計り知れないストレスを伴い、もしも被害者の存在があれば<この子が生まれていなかったら!>と嘆く心情に陥ってしまう。

裁判のニュースでよく採り上げられる言葉に「あなたが被害者の立場だったらどうする?」というのがあるが、それらを加害者側の弁護人や裁判官にぶつけられる被害者の心情を理解される人も多いだろう。

  一方に、ネットで自殺相手を見つけて集団自殺する問題も深刻。それらを併せて「法整備」「学校教育」「家庭教育」なんて言葉が飛び交う専門家達の発言を集 約すると、どうも的が外れているように思えてならない私。「命の教育」の重要性を教えることと「自分が嫌がること、されたくないことを他人にするな」とい う基本的な「人間性」の部分が稀薄しているような気がしている。

 シンドラーやパロマに見られるように、人の命に対する企業姿勢も羞恥のレベル。上述したことで共通していることは「周囲の誰もが不幸」ということ。人も企業も「他人を幸せに」と行動することが世に存在する使命の筈。

 最近の医学の世界で盛んに言われているのが「予防医学」の重要性だが、社会の犯罪に対する観点も青少年に対する「予防」教育が何より大切だろうし、犯罪の「因」や「種」はどこかに根付いた「病」だと考えるべきだと提起したい。

 大学に入っての部活活動、そこで先輩から強制的に一気飲みを命じられ、急性アルコール中毒で死を迎えた悲しい葬儀を担当したことがあるが、こんな愚かな慣習があることだけでも異常な社会。

人生で愚かな人との出会いがとんでもない不幸を齎す例だが、大阪と岡山で起きた学生の暴力殺人事件などは、その典型的なケースと言えるだろう。

 被害者、加害者の両者に親の存在がある。昔は、その上に親戚やご先祖様という存在までを教えられた「恥の文化」が大切にされてきたが、それらが稀薄どころか消滅というような社会になった。

 事故や事件を仕出かし検挙され、裁判を経て塀の中、そこで後悔するのでは遅過ぎる。

司会に対する自論に「プロは反省するが後悔はしない」との考えがあるが、それはやる前に「ミスをしない」という行動を重視しているからだ。

 中東の戦争やテロ事件、またインドネシア地震の津波、そしてこの数日の豪雨による被害、隣国に愚かなテポドン将軍も存在する。そんな世の中で「被害者」にならず、朝を迎えることが出来ただけでも感謝するべきかも。

 何やら暗いことばかり書いてしまった。気分転換にブログに関する紹介を。女性の葬儀司会者が綴る「MAMADIARY」さんのページで「花火」があったし、担当された葬儀での遺族の謝辞が素晴らしかった。弊社のリンクのページからどうぞ。

  そうそう、そのリンクページにある「笑いと健康」をテーマにされた「サンサンてるよ」さんのHPだが、パソコンが入院されたそうで更新が出来ないそうだ。 しかし、急遽その対策に新しくブログを立ち上げられたというのだから敬服する。上記<HOME>から接続いたしましたのでご訪問くださいますよう。
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