2024-02-16

手を合わせて  NО 10102

ずっと気になっていることがある。過日に知っていた携帯電話に掛けたら友人夫妻の奥さんが出て「私の時間がないの。主人が寂しいみたいで自宅にいるので電話をしてやって」と言われた県である。随分と長い交流があったが、私が大病を患う少し前に大阪での店舗を閉業し、麦酒とゴルフが何より楽しみと故郷の熊本へ帰られた経緯ががあった。

その決断に至った背景には奥さんに病気が見つかったこともあったが、その後に名医と出会い奇跡的に回復されたこともあった。

果実の号で伊勢神宮参拝に行った際、鳥羽シーサイドホテルでのシャンパン、ワイン事件のことを触れたが、その数年前に松坂の「海津」へ連れて行ったことがあった。その時に備長炭の上に乗せられた網から焼き肉を取ろうとされた奥さんが,箸を滑らせ肉を灰の上に落としてしまった出来事がありそれから何度もゴルフにご一緒したが、その事件がトラウマになっていると言われたことがあり、鳥羽からの帰路に立ち寄ってそのトラウマを忘れさせて上げようと考えて行ったら、こんな皮肉な出来事が起きるとは想像もしていなかったが、また同じ落下事件を起こされてしまったのだ。

トラウマがダブルになったと笑われていたが、その話は熊本の自宅を訪れた際にも聞かされ、懐かしい出来事として忘れられないでいる。

ご夫婦の自宅は熊本駅から車で10分の所だが、妻と何度も立ち寄ったし、ゴルフ仲間の妻の友人を伴ったこともあった。

彼の得意な料理は玉子サンドで、そのふわふわ寛が絶妙で、私の友人達もテクニックを教えて貰っていたこともあるが、私がリハビリ入院していた時に玉子サンドを持って来てくれ、それを食べた療法士さんが「これ、どこのお店ですか?」と聞かれて教えたら彼女を伴って音図tれ多みたいで病院内で大きな話題になっていた。

ある時に訪問した自宅で「玉子サンドを作ってあげる」とキッチンでやってくれたが、フライパンと火力が違うので難しいといわれたこともあった。

数年前、私が少雨月の3日に帯状疱疹になった際に平山温泉から雲仙へ向かう途中に熊本駅へ迎えに来てもらい、彼の自宅で2時間ぐらい過ごして熊本新港まで送って貰ったが、その後に発生した熊本地震で裏庭に建っていたハウスが倒壊し、余震が怖くて車中泊をしていたらスプリングの変な揺れで参ったと体験談を教えてくれたが、その地震で妻の実家がダメになり更地にして立て替えた話もしたことを憶えている。

加阿野序はまだ闘病中だと思うが頑張って奇跡的に回復して欲しいと願っている。私が体験している「ロス」の心境を友人に体験させないで欲しいと願うばかりだが、私のロスの要因は会話が出来なかったことで「有難う」も「さようなら」もなかったことであり、それから比べると病室での会話が可能なようで大丈夫だろうが、過日の電話でも衝撃的な悲嘆の心情を訴えてえいたので心配だ。

近いうちに妻の納骨に関して熊本へ行かなくてはならない。その時に病院へお見舞いに行きたいと考えているが、私の体調のことも心配で、あるけるように今日もリハビリに行って来た。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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