2024-02-12

会食して  NО 100100

NО 100100
リハビリの患者仲間さんと会食をしたが、彼女は後遺症から利き手の右手が使えず、左手でお箸を使っていた。
救急車
患者仲間の皆さんから「私の後遺症を知られて軽度でよかったねえ」と言われるが、救急車で搬送された際の医師たちの会話に人生が終わったと感じた。

「脳幹損傷」「延髄損傷」「呂律回らず」「左半身知覚障害、温覚・痛覚麻痺」顔面麻痺」「左半身麻痺」複視発症」「誤嚥性肺炎」右半身コントロール不可」なんて会話を耳にしたのだから最悪だった。左右の一刺し指を引っ付けることも出来ず、左右の手で鼻を触ってくださいと言われて行動したら、左手は障れたが右手が頭部の方へ行ってしまいどうしようもなかった。

次の日からリハビリが始まったが3日に一回はシャワータイムがあったのだが、3回目の時に湯船に入られたらと言われて入ったら、左半身が水風呂に感じて気持ちが悪く、すぐに跳び出だしたこと憶えている。

一か月で転院して3か月間をリハビリ専門病院で過ごしたが、左半身の知覚障害委は採血を受ける際に痛みがないので楽だった。

自宅に戻ってから近所の銭湯へ行ったが左半身の水風呂状態は改善せず、行のように考えて耐えていたが5年経過した頃からちょっと温度を感じ始め、発症から7年半目に戻った。

この間に真向いにある医院で何度も診察を受けたが、注射や採血の時は痛みを感じなかったので助かった。

「涙は悲しい時にだけ流れ出るものではありません。涙は感情が極まった時に生まれるもので、人が生きている。生きなければならない証、輝きなのです」

そんな司会のフレーズを思い出しながら人の運命が脳梗塞や脳内出血で一瞬に変わってしまうことを再認識し、軽度で回復傾向にある自身を幸運だったと考えているが、毎日のように患者さん達が増える現実に衝撃を感じてしまう。

会食した彼女の精神的苦痛は大変だろうが、「朝を迎えない夜はない、春を迎えない冬はない」の言葉を贈って改善されることを願っている。

私はこれまでの人生で十数回入院したことがあり、友人から「患者評論家になれ」なんて言われたことがあるが、最近のテレビCMにビールが多く登場するので一滴も呑んではいけない自身の身体を考えて耐えている。

「膵炎」で3回入院したことがあり、3回目の時ノンアルコールのビールをコップ一杯飲んだだけだったが、担当医から「あれは車の運転には障りませんがあなたの病気には支えます」と言われた。

「脳梗塞を発症する1年前、自宅の和室で腹ばいになって新聞を読んでいた時に腹部に拍動感を覚え「?」と医院へ行ったら、超音波検査で先生が「本当に動脈瘤があるわ」と言われて衝撃が走った。来た気宇してから医学書やネット開けて情報を集めたが、明るい話題は一切なく、死を覚悟する思いが過った。

妻が通院していた医院へ行って造影剤によるCT撮影を申し込んだら「腹部に動脈瘤がある患者さんは破裂しても当院では対応ができませんので大きな病院で」と断られた。

そこで仕方なく会社の近くの村田病院で受けることになったが、「左腕が痛くなります。
か我慢してください。おなかが温かくなってきますから」とスタートしたが、左腕に激痛
を感じるのに一向におなかに温かさを感じない。

しばらくすると、看護師さんと技師の方が入室され、「すみません 失敗しました」と飛
び込んで来られた。

造影剤が漏れていたみたいでみたいで左腕の色が変わり、太くなって腕時計が食い込んではずせない状態になっており、女医者さんのいる診察室で処置を受けた。

撮影は造影剤が入らなかったので「白黒」になったが、医院へ持参すると「なんで?」と言われたので左腕を見せて処置をしていただいた。

前号で触れた松坂、榊田温泉行の10人の企画、妻を含めて半数の5人が亡くなってしまって寂しい限り。舞鶴ご出身の高齢女性がおられたが、数日前に医院の待合室で会い「皆さん亡くなってしまって寂しいね」と言われた。

一昨日、会社のスタッフから電話があり、中印机などの片付けに参りましょうか?と聞かれたので位牌がまだ白木のままでお寺さんのお願いしていると伝えると、それから二時間後にお寺さんから電話があり、来宅されて位牌の寸法を確認されて帰られたが、今日はお寺さんの息子さんが鎌倉で結婚式だそうで、行っておられる。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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