2013-07-30
たこ焼きのこと NO 3352
気仙沼の彼女、どうやら奇跡みたいな不思議なめぐり逢いで同一人物だったよう。過日に気仙沼に関係する女性と食事をしたが、その際に震災前は仙台から行けたが、今は一ノ関から行くそうだ。
八戸に行かなければならない所用があるが、その際には気仙沼に立ち寄って彼女と再会をしたいと考えている。
震災を乗り越えて「たこ焼き屋さん」を開業して周囲の人達を勇気付けることになっていると記事にあったので嬉しくなったが、彼女に伝えたい伝説の「たこ焼き」の味がある。
小学生の頃だったので50年以上も前のことだが、当時に疎開道路にあった「大三」というパチンコ店の裏に屋台販売をされていたもの。電気の代わりにカーバイトを燃やしていたので独特の香りがしたのを憶えているが、豆炭を使用されていたのも印象に残っている。
10円で8個もあったのだから今では信じられない話だが、焼けて丸くなったものに刷毛で醤油を塗ってコロコロと丁寧に焼く手法。それはそれから何処でも味わうことのない代物だった。
友人の奥さんがこの「たこ焼き」のことを知っていた。彼女は私より少し若いが、時折に「たこ焼き店」を手伝っていたこともあったそうで、あの味が忘れられないと懐かしく語っていた。
最近、寺田町の駅前に「たこ焼き店」がオープンした。少し大き目みたいだが、昔の30倍ぐらいの価格になっているのでびっくりした。
知人が手広く「たこ焼き店」をやっている。彼は上海にも店を出して繁盛していたが、小泉総理のが靖国神社参拝に抗議するデモで店舗が甚大な被害を受け、何処も補償してくれないと閉業した出来事もあった。
たかが「たこ焼き」、されど「たこ焼き」という言葉もあるみたいだが、どんな世界も奥行きが深いものである。前述の奥さんのことだが、友人によると彼女を 乗せて車で走っていると何回も「停めて」と言われるので困るとぼやいていた。彼女の言葉は「たこ焼き店」を目にした時の行動からだが、何十回も届けてくれ た歴史もあり、入院中の病院にお見舞いと持参してくれたことも忘れられない思い出である。
彼女の実家は有名な「お好み焼き店」である。そんなところから所謂「粉もん」に幅広く興味を抱かれているのだろうが、我々の「たこ焼き」談義はこれからも続くと確信している。
結びに正直に吐露するが、私は「たこ焼き」は好きだが「たこ」は取り出して食べないのである。阿倍野に明石焼きの美味しい店があるが、何度か行っている内に「たこを入れないで焼きましょうか?」と言われて嬉しくなった出来事もあるのだから笑われる話である。