2023-12-21

無言の帰宅  NO 10068

妻が6年ぶりに自宅へ戻って来たが、残念ながら「お骨の姿」。昨日にお通夜、そして今日が葬儀だったが、出棺前のひと時に孫達からマニキュアを塗って貰っていたので喜んでいただろう。

友人達が多くさン列してくれ感謝しているが、知らせなかった人達がいるので申し訳なく思っている。

元社員だった人物も来てくれた。彼は私が好きなベーカリーの「クロワッサン」を持参してくれ、「今日開いて今地したので買ってきました」と言ってくれ棺の中に入れ、残りを孫達に食べさせたら「美味しい」と喜んでいたが、大半は持ち帰って夕食とした。

受付などお手伝いを近所の方々担当くださり手を合わせたが、明日にでもお礼に行きたい。

ご仏縁の会った東京のお寺様からも供花をいただき恐縮したが、多くの人達から慰められ励まされた。

大好きだった孫たち全員が参列出来たので喜んでいるだろうが、アメリカで誕生した二人目の孫の時は渡米していたので懐かしく、私が初めて会ったのは、手術入院していた大阪赤十字病院の病室で、その子も来年は大学受験の年令になった。

3番目の孫は高校生で野球主念だそうだが、私より慎重が高くてびっくり、エレベーターの中で確認したら175センチもあった。

瓜破斎場まで霊柩車の助手席に乗ったが、猛烈な冷え込みでそれぞれの知へ帰る交通機関の心配をしてしまった。

新幹線や飛行機の遅延も考えられるし、域による運転見合わせになったら大変だと思っていた。

お斎の会場からバスで「御骨上げに向かった際の冷え込みは尋常でなく、5度を下回る気温だったようだ。

今日の司会は私が指名した女性で、妻も彼女に「送ってね」と言っていたこともあり、
それがかなえられたことが最高だったが、親戚の人達からその裏話に「よかったねえ」

と言われた。

落ち着いてから彼女にお礼をしなければならないが、クリスマスや年末というっ時期に重なってしまって遅れそうだ。

熊本の荒尾から4人も参列してくれたので恐縮したが、無事に帰られた事だろうかと心配する。「有難うね」と手を合わそう。

自宅へ戻ると電話機に受信記録があったので掛けるとヘルパーさんの事務所で、今日来宅して不在だったので明日に変更していただいた。

彼女が来宅するきっかけとなったのは妻が訪問看護を受けていた時からで、過日に来られた際に「亡くなった」ことを告げると悲しんでくれ、私も涙が流れて仕方なかった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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