2005-10-13

信じられないでしょうが?  NO 1300


 朝から受信したファクシミリ、その中に団体の要職に就いている人物から「本日、入院することになりました」と送信されてきたものがあって衝撃。

周囲の人達をいつも明るくされるご性格、何度かゴルフをご一緒したこともあり「病気に負けるな、全快を!」と、私流の「念気」を送って手を合わせた。

「念気」とは私の造語で他人のために祈ること。幸せであるように、不幸でないようにと「気」を念ずるもの。自分自身に対する効き目はないが、他人へは不思議とそのパワーに効力があるようで、最近に特に強く感じ出した現象である。

 ある時、過去を振り返ってみたら、不思議な出来事がいっぱいあったことに気付いた。それらを書き出したら数冊の本が出来るぐらいで、時折に紹介させていただこうと考えている。

 予言者、占い師、霊能者なんて思いは一切ない。ただ、葬儀や火葬場で手を合わす回数が多かったということだけだろうが、僭越極まりない表現で分かり易くするならば、超宗派型の宗教者の末端の一員みたいなものと言えるかもしれない。

 葬儀に携わる仕事を生涯の生業と覚悟することになったのは、若かりし頃に起こした交通事故。名神高速道路の茨木インターチェンジ付近で、故障で路肩に放置されていた車に時速92キロで激突したことだった。

 事故についての詳細は過去ログにあるので省かせていただくが、完全な居眠り運転が原因。故障車が無人であったことが何より救いだった。

 未明の暗い状況で警察に通報くださった第一発見者、その方が「散歩中に犬がいつもと異なる道に行ったから発見した」ということから始まり、事故前から退院後までに数匹の犬がつながってくる不思議な物語がいくつも秘められていたことを後で知った。

 救急車の隊員、医師、看護師、警察官、両親、そして見舞いに来てくださったすべての人達から「奇跡」と言われた私の命、それは天職として葬儀の仕事を後継する宿命を感じた出来事。

 そんな生い立ちを背景に今日まで葬儀の道を歩んできたが、祭壇に飾られたご遺影が微笑まれた体験も何度かあり、それが単なる錯覚でなかった裏付けもあって衝撃も。

「今、お爺ちゃんが笑ったよ」と言われた孫さん達の言葉、そこで一緒に体験したすることになったことも少なくなく、喪主様から「微笑んで喜んでくれました。有り難う」と御礼のお言葉を頂戴したこともある。

 今月になってから事務所内の仕事が忙しい。今年にご葬儀を担当させていただいたお客様から喪中葉書の印刷依頼、ご家族それぞれが異なる文面でも可能という提案が好評だったみたい。

 個性化、多様化傾向にある葬儀の世界、喪中葉書の文面もオリジナル対応の時代だろうし、お申し込みくださったご当家のお名前を拝見しながらご冥福と共に、ご健勝とご多幸を「念気」申し上げている。
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