2007-03-05
前後を見たら? NO 1797
出掛けていて観ることの出来なかった昨晩の「K―1」テレビ中継、今日の新聞で結果を確認したら、藤本祐介選手が武蔵選手に勝利していた。
彼は、前にも書いたが知人の息子さん。知人とは「ベッカム様」の流行語大賞に輝いた人物でもある。
その人のHPを創作されたのがリンクのページに登場いただく「出たとこ勝@負ログ」の管理人さん。そんな三者の交流があったのが昨年の新春、あれからもう1年の月日が流れたとは信じられないぐらいのスピードだ。
昨年の今頃、入院手続きを済ませて自宅待機をしていた。3月13日に入院、20日に手術というスケジュールが予定され、情緒不安に陥っていたことが嘘みた いで懐かしいが、後遺症と推測される昔の古傷の強烈な痛みと痺れからやっと解放されたみたい。ホッとしたところで肥満をセーブする生活を過ごしている。
最近、友人から入る親の訃報が多い。それは団塊世代が喪主となって親を送る現実を物語る縮図のようだが、私も近い将来に母を送る喪主を務めなければならない責務がある。
元気な長命に感謝をしなければならないが、考えてみれば周囲にいた年寄り仲間を次々に送り、自身が送られる際に友達がいないという寂しい現実もあるだろう。
「長生きをしたいと思う。その生き甲斐は何だと思う?世の中がどのように変わって行くか、どんな便利なものが登場してくるのかが楽しみなのだ」
そう言われたのは喫茶店の馴染みのお客さん。確か90歳を超えておられる筈だが、矍鑠とされた散歩姿は70代にしか見えないから驚きである。
夫婦ばかりで集まる会合があるが、そこに酒が入ると関白発言をする人物がいる。奥さんに向かって「お前、わしを送ってからしか許さんぞ。先立ったら承知せ んからな。よ~く覚えておけ!」と、周囲の人達に「証人になってくれ」と懇願するのだが、みんなに「愛情の表れ。本来が寂しがりやである男の本音だ」と冷 やかされている。
過日、2005年度の平均寿命が発表されていた。やはり我々男は女性に負けているようで、年々に差が広がっているような気がする。
葬儀という仕事に携わり、ご遺族から故人の人生のひとこまを教えていただくと、「後、何年この世に存在することが出来るのだろうか?」と思うよりも、「こ れから残された時間に何をすべきか?」と考えることの方が強くなるのだが、思いを「かたち」にしなければと焦りながら、空虚な時間が過ぎるこの頃でもあ る。