2002-11-07
今日の出来事 NO 249
今日のご住職の葬儀で、久し振りにお会いする方が東京から会葬に来られていた。
この方は、東京を代表するT斎場の役員さんで、この斎場のオープニングセレモニーを私が担当したというご縁があった。
多くの会葬者にお見送りいただきながら、還浄されたご住職の葬送の儀式が終えられた。
火葬場の炉の扉が閉められる時、ご住職とこれまでにご一緒した時の思い出が甦ってきた。
ご住職は、韓国ソウル市の名誉市民でもあられ、そのえにしになったのが、歴史に名高い韓国に嫁がれた皇室の「李 方子」様のご存在。私も方子様直筆の「和」の書を頂戴し、大切に自宅でお飾りしているし、お食事の場に何度か同席させていただいたこともある。
さて、話題を変えるが、友人を通じて、ある方からホテルでの偲ぶ会のプロデュースを担当することになった。
この方がホテルに依頼をされたのは10日ほど前だそうで、ホテル側の対応に疑問を抱かれて行動され、私の友人のアドバイスでえにしに結ばれたということである。
大阪の著名なホテルが提案された偲ぶ会。それは、次のような式次第であった。
出席者は、入場時に献花の花を受け取り、そのまま祭壇に供えてから着席する。
続けて司会者の開会の言葉で黙祷を捧げ、すぐに2名が追悼の言葉を捧げる。
これらを終えると施主の謝辞。故人の友人の献杯発声で食事が始まる。
上記の何処が「偲ぶ会」なのだろうか。信じられないほど低次元な集いであり、故人と主催をされるご遺族があまりにも気の毒に思えてならないところだ。
ある大手ホテルの経営者が、「ホテルは、儀式たるものは行なうべきでない」と断言されているが、結婚式をせずに披露宴だけを売りものにされる姿勢がありありと見え、神仏問わず、日本の文化の根源となる「神仏と共食」を全く無視していると断言したい。
これらの姿勢は社葬の形式にも顕著で、参列された方々から「これは、何だ」というクレームが多く発生しているにもかかわらず、保身主義の縦社会であるピラミッド型経営姿勢に生きるホテルマン達は、誰も猫の首に鈴をつける行動に出られないようである。
そんな彼らから「実は、困っているのです。お客様から責められるのは私達なのですから」という言葉を何度も聞かされたが、昨今流行の内部告発には至らないようだ。
さて、上述のお客様だが、私が提案した式次第に即座に賛同され、「当日の光景が目に浮かんできます」とのお言葉を頂戴した。
大切な存在である故人への礼節。また、悲嘆の心情にある遺族への癒しなくして偲ぶ会はないだろう。無宗教形式であるからこそ、この部分を大切にしなければならず、食事ともてなしだけをホスピタリティと考えるホテルサービスの、完全な欠陥であると指摘する。
今度もホテルスタッフを恐怖に陥れることになるだろうが、彼らは、お客様のご満足のお声に接することになると、掌を返したように豹変することも面白いところだ。