2004-08-06
隠れ家が? NO 874
偲ぶ会やお別れ会などのホテル葬は大半が無宗教で、私が司会を担当する場合は前方の祭壇横が司会の場になっている。
ここでオリジナルな「司式」形式と呼ばれる進行を担当するのだが、前からだと参列される方々の表情がはっきりと見え、その変化を察知しながら、時にはシナリオになかったアドリブを入れることも少なくない。
宗教者がつとめられる形式では後方に司会の場を設けるが、慣れてくると後方からでも表情を空気として感じることが出来るようになってくるもの。
弊社のオリジナル葬送形式である「慈曲葬」の時、弔問者、会葬者に式次第のカードが配られているが、確認したところでは多くの方々にご笑覧をいただいているようだ。
そこには少しだけだが故人のことも触れられてあり、「思い出を形見に」というキーワードがコンセプト。「これ、感じたよ」というお言葉を頂戴することが増えてきて嬉しく思っている。
今日の葬儀、音楽を重視し、敢えて私自身がナレーターを担当した。
その中で使ったフレーズだが、葬儀終了時の喪主さんの謝辞の中で「ナレーターの方が言われましたが」というお言葉があり、「故人のことを思い出していただければ」で結ばれた。
慈曲葬で大切にしていることは、ネーミングにある「曲」と共に「命の伝達」ということであり、葬儀が終了されてからご出棺までの時間を重視している。
全国から研修を目的としてやって来られる多くの同業者さんがあるが、体験をされた感想が二つに分かれている。
まず低レベルな業者さんは「否定的」になってしまわれるようで、その心情には「自社では絶対に出来ない」ということがあるようだ。
高レベルな業者さんは「カルチャーショック」という言葉を出され、改めて数人が来社されることで共通されている。
司会を専門にされている方々が特に面白く、アポ時のパワーが完全に消滅され、ただ衝撃と帰って行かれたケースが多い。
そんな中、「こんなラッキーなことが」と言われたケースがあった。それは、来社されてから30分間、私が時間に追われてナレーションを創作するパソコンを眺めておられたから。
「不思議な打ち方ですね?」と苦笑されていたが、その創作方法にはびっくりされたみたい。それをビデオのエンディングにぴったり合わせたタイミングに二度びっくり。そのテクニックを伝授したので感激され、いつも多くのフルーツを贈っていただいている。
司会のレッスンの場である「隠れ家」だが、年内の事務所移転によってなくなってしまうことになる。
「隠れ家に憧れが」というメールをくださった多くの方々、是非、お早い内に来社されることを願っています。