2005-05-08
常識の裏側に? NO 1150
夕刻、前から約束があったお客様が来社、隠れ家に迎えて1時間ほどお話しを。
10カ国ぐらいの若者達が集う国際的なボランティア活動団体だが、今日は幹事を担当されるアメリカ人夫婦とネパールの男性だった。
<日本語、大丈夫?>が恐怖感を抱く私の第一声。「ちょっとだけOKよ」とアメリカの男性の言葉に心配したら、奥さんもネパールの人も流暢な日本語を話されたので安堵した。
昨日のカラオケもそうだが、弊社や私が社会貢献活動としてボランティアを実践していることを知られ、インターナショナルで「何かが出来たら」という提案が持ち込まれ、イベントのプロとしてのアドバイスを交えながら、今後の彼らの活動展開について模索した。
英語、ネパール語、インド語、スペイン語の会話教室も可能だし、ボディーガードの専門家もいるそうで、子供達や女性に護身術を教えることも出来るとのこと。
組織の趣旨や歴史を伺いながら、そのグローバルな考え方と国際色豊な発想が面白く、幾つか思い付いたことを話したら興味を抱かれ、後日に10人ぐらいで来社されることになったので期待している。
さて、全国に点在する塾生達それぞれに様々な悩みが発生しているよう。悩みは成長の過程に必ず試練として表れるもの、それは自身の成長が始まった証しでもある。
自身に意識改革が始まった時、それを仲間であるスタッフや他人に強制することは絶対にダメ。そこで謙虚になって接することが自分を大きくさせ、相手を変えるきっかけが生まれることになる。
自分が意識改革に至るまでの過去を振り返る。そのきっかけ、費やしたそれまでの時間を考えれば見えて来る筈。そこで焦るようなら納得させることは無理。耐える時間が結果的に両者を育てる最善、最速の方策だとアドバイスしたい。
塾生の一人が始めたブログを訪問した。彼には8歳と10歳の女の子供さんの存在があり、かわいい写真も掲載されていた。
もちろん2人とも小学生ということだが、5月7日の号に、学業を終えたら弊社に研修社員として入社させたいとのこと。「それまで塾長が元気であって欲しい」と書いてある。
そんな文章を拝見しながら<大学卒業で22歳? 上の子で12年後? そうすると70歳か?>と、塾を開講してしまった責務を感じている。
今日、スタッフに司会の世界の不思議な奥義を体験させた。同じ収録時間であるテンポの速い曲、遅い曲で喋らせる。速い曲の方が速く喋ると思うのは大きな誤解、ゆっくりした音楽の方が速く喋っている事実に驚いていた。
これは、音楽に「錯覚」という仕掛けがある。そこで聴いた側からするとどうなるかが面白い結果。ゆっくりリズムの音楽の方がゆっくりと喋っていると伝わるのである。
こんな体感をされた葬儀の司会者なんて恐らくいないだろう。そんな研究をしてきた歴史、それが「変なオジサン」たる所以である。
常識の裏側に「えっ!」という正反対の結果があることも少なくない。人は勝手な思い込みをするのも常識。時には非常識な観点から見詰め直すと面白いだろう。
そんなところから、今日の<HOME>接続は、上述のブログ「やがて大人になるこどもたちへ」を。