2005-12-18
身近な癒し? NO 1367
高知市や九州でも積雪、全国的に真冬モードの日、特急列車の運休や高速道路の通行止めの影響で、参列出来なかった方々が多かったと想像する。
大阪も厳しい寒さ、そんな中でスタッフ達が頑張ってくれている。葬儀という仕事の「使命感」に熱い思いを抱いてくれているのが何より嬉しく、早朝から夜遅くまで走り回っている姿に感謝する。
全国に悲しみに眩れる人がいっぱいおられる。大切な方を亡くされた人、失恋や失業の憂き目に遭った人もいるだろう。私は、こんな「変なオジサン」だが、よろず相談所みたいに慰める役が多く回って来る。
そんな時、必ず「銭湯に行ってきなさい」と助言するのだから間違いなく「変なオジサン」だろう。
世間と人の温もりに飢えている時、ご自分の体を温めることが最適というのが持論。温かい湯と湯気の中に身を包むと必ず何かを見い出すことになる筈だ。
「極楽じゃ」「天国じゃ」という声を耳にすることもあるだろうし、孫を伴われたほのぼのとした光景もあり、そこにいる皆さんが一時的にも「不幸でないひととき」であることを感じられるだろう。
蛇口から流れる湯の音や風呂桶の音も聞こえてくる筈。そこに「生きている」「生かされている」人達の存在が改めて確認出来るのが銭湯の素晴らしい世界。
それぞれの人にも辛い過去の思い出があるかもしれないだろう。深刻な病を抱えている人もいるかもしれない。でも、そこではみんな不幸でない表情を見せている。
「ぬくもり」とは人を幸せにしてくれる言葉。それは母の存在を知る動物に共通することだろうが、銭湯とは正に偉大なる母のようなぬくもりを感じる世界である。
そこで自分が「生きている」ことを体感したら素晴らしいし、「生かされている」ことを学ばれたら最高で、自身の心の傷が少し癒された思いになられる筈と勧めているのである。
先日の銭湯で耳に入った会話が素晴らしかったので紹介を。幼稚園ぐらいの子供が、私ぐらいの年頃のお爺ちゃんと一緒に来ていた。身体を洗ってやりながら「何が一番欲しい?」と聞いている。
しばらくして「うん、そうやなあ?やっぱり田舎や。田舎に行きたい」と答えた孫さん。私は、てっきり<故郷の話題?>と思ったらそうではなく、困った表情のお爺ちゃんとのやりとりが始まった。
「爺ちゃんも婆ちゃんも大阪生まれでなあ、パパもママも大阪じゃ。爺ちゃんも婆ちゃんも田舎があったらよかったと、ずっと思っていたんじゃ。どこかの田舎にみんなで旅行をしようか?」
「行きた~い。雪がいっぱいのところがいい」
お孫さんは、近所の友達が田舎の話をして羨ましかったみたいで、電車や車の話題に発展した和やかな会話、それは銭湯ならではの温かい光景であった。
あなたは悲しいですか?辛いですか? だったら銭湯へ行かれることをお勧めします。「えっ!行ったことがないから恥ずかしい?」 勇気を出して行ってください。温泉旅館のお風呂だと考えましょう。