2015-09-16

もう初雪が降ったそうだが  NO 4313

今日「水曜日」は「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは甲子園球場で行われていた夏の高校野球に関することで、横綱的存在だった「大阪桐蔭高校」を準決勝で破って大阪代表になった「大阪偕成学園」のことに触れた。

また、歴史に残る大横綱「双葉山」が69連勝で終わった際の相手は「安藝ノ海」で、その時のラジオで実況中継していたアナウンサーが有名な「和田信賢」氏で、「古稀稀なり」という言葉が語り継がれていることや、「安藝の海」に対して親方が「勝って騒がれる力士より、負けて騒がれる力士になれ」と教えた言葉についても書いた。

過去に4冊の愚書を書いた歴史がある。「お葬式と春夏秋冬」「小説 葬儀屋七万歩才のあの世の旅」「お葬式はハプニングに乗って」「エッセイ 悦生」だが、私自身を他人が採り上げて書籍にされたことも少なくないし、つい最近には語録みたいな「伝匠」というタイトルで世に出たものもある。

過日にアマゾンで50冊ほど注文したが、地元の交流のある書店でも店頭に置いていただこうと考えている。

昨日もご笑覧くださった方からメールが届き、高評価のお世辞内容で嬉しくなったが、来月に再会することになるのでその時に詳しく拝聴しようと考えている。

前にもこの刊行に至る経緯について触れたが、今年の春に全国に点在する葬儀のプロ達が大阪で会合を開き、会食の最中に「瓢箪から独楽」という提案が飛び出し、「それだったら私が書く」と行動を始めた人物が書き上げたもので、振り返れば私がこの世に生かされて葬儀という仕事に携わった証しを「残す」「遺す」の両方が出来たことになるので喜んでいる。

今月末に北海道に出掛けるが、その目的地はこの「伝匠」を残そうと提案した人物の会社で、苫小牧にある苫小牧市民斎場である。2年前の秋に訪問した際に多くの社員の皆さんに講演をしたが、終わってから抽選で当たったスタッフの人達とホテルで会食したが、その際の自己紹介で何と素晴らしい会社だと社長のことを羨ましく思った。

「私は親の反対を押し切ってこの会社に入りました。学生時代に友人が交通事故で亡くなり、お通夜と葬儀でスタッフの皆さんの仕事振りを見て共に働きたいと思ったのです」

「私は北陸で生活していましたが、妻の実家が苫小牧にあり、親の葬儀で参列し、スタッフの皆さんの対応に感動して北陸を片付けてこの地に移転して来ました」

「競合する互助会におりましたが、ある時に敵情視察で会葬者に紛れて見学に来ましたら、全然レベルが異なることが分かり、そちらを退職してこちらに入社させていただきました」

こんな社員達が存在する葬儀社に送って貰えたら故人も最高だと思うが、社長の発想から新しく建設された式場が秀逸で、全国各地の同業者が見学したいと訪れている。

もう余りこの世の時間が残されていないような思いがする最近で、この世を出立する前に北国で深いご仏縁のある人達に会いたいと行動するものだが、あちこち立ち寄るのでJRだけで600キロ以上移動することになる。

舞鶴か敦賀からフェリーを利用し、北海道を車で走るのが60歳を過ぎてからの夢だったが、6年前に大病を患って不可能となり、仕方なく列車移動が中心となり「ジパング倶楽部」に入会したが、3割引きで利用出来ることは有り難いことである。

「行きたい」「会いたい」「食べたい」「見たい」という「たい」は欲望の言葉だが、それが失せたら人生は終り。同時にもうひとつ「しなければならない」という責務を実行する指標を抱くことも重要で、最近になってそんなことを思い出したのが「幸せ列車」に掲載している「フィクション 女将シリーズ」で、纏めて発刊して残したい心情も出て来た。

周囲の人達から「勿体ない」「面白い」「残すべき」という言葉やメールが届くこともあり、単細胞な性格がついその気になってしまったというのが背景だが、幾つか出版要望されているのを辞退している事情もあり、自分の思うかたちで残しておきたいと思っている。

今日の写真は購入したJR北海道の指定券。5回も特急列車を乗り換えるのだから大変である。
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