2020-03-13

また寒くなりそう  NO 8735

過日に誕生日を迎えた私だが、友人達から鞆の浦 常夜灯お祝いや励ましのメールや電話があって嬉しかった。
広島のピピの社長からは墨筆野手上をいただいて恐縮したが、昔から達筆だった彼女の筆、また一段と見事になったと驚いた。

何度か尾道の会社へ立ち寄ったが、新尾道駅のすぐ近くだが、「こだま」しか停車しないので岡山か福山で乗り換えることになるが、調べてから乗車しないと乗り換えでの待機時間が30分を超すこともある。

友人達とお好み焼きを食べに言ったこともあるし、世羅の奥にある保養施設に宿泊したこともあったが、印象に残っているのは彼女の中学生時代の恩師ご夫妻が民家と蔵で開かれている「蕎麦屋さん」で、同行していた妻も感動していた。

ネットの影響でかなり知られる存在となっていたが、今でも営業されているのだろうかと気に掛かる。

友人達と行った際にには「しまなみ海道」の一部を通り、有名な大山祇神社にも参拝したが、妻と行った時は鞆の浦であちこちの旧家で立派な「御雛さん」が観られたことが印象に残っており、福山市内から少し離れた場所にあるスーパー銭湯にも立ち寄ったが、懐かしい昭和のコーナーがあってびっくりしたことも憶えている。

娘から届いたステーキを調理した。ネットで「焼き方」を調べてから挑戦したが、焼く1時間前には冷蔵庫から出して常温にしておくことが書かれてあり、「そうなんだ!」と思って妻に冷蔵庫から出させた。

「ジャガイモ」「カボチャ」「なすび」「もやし」は私が大きなコンビニで買い込んで来たが、エバラの焼き肉のタレも買ってきたが、ステーキの包装の中に「デミタスソース」が入っており、キャップを開けたら固まっていて出なかったのでそのまま使わなかった。

ホテルなどでの鉄板焼きのコーナーで「オイル」と「バター」でこんがりと調理する「ニンニク」のこと何度も観ており、上手く出来るだろうと挑戦したら、直ぐに真っ黒になってしまい失敗し、フライパンを洗い直して再挑戦したが、妻に命じた「塩胡椒」が固まっていてキャップを外してかき混ぜなければならず、そんなことをしていたらまた真っ黒になってしまって失敗した。

そもそもネットショッピングで衝動買いをしてしまったフライパンに問題がある。「焦げません」と謳っていたのに、初めて使った時に焦げてどうにもならず、洗っても全く綺麗にならないので騙された思いを抱いている。

昔、高層ホテルの式典プロデューサーに就任していたことがあったが、そのホテルの総料理長が楽しい人物で、創作された「ごまだれ」を広く販売されることになったのだが、ラベルにご本人の顔写真を入れるか入れないかで議論したことも懐かしい。

世の中には不思議なことあるもので、彼が分譲地の新居を購入して済み始めたら、隣に外資系ホテルの総支配人が居住されており、私のゴルフ仲間でもあったことから驚いた。

私が葬儀の仕事に従事して司会に取り組んだが、単なる司会者でないと学ぼうと固執したのが火葬場まで随行することで、「クラウン・ロイヤルサルーン」が3代、センチュリーが2代、キャデラックのフルサイズに乗っている頃に発病して現役から離れたが、車内でお寺三、葬儀委員長さん、喪主さん達との会話が耳に入り、そこで学んだ貴重な体験は何よりの財産となり、講演やセミナーのネタとしても活用することになった。

小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」を書くきっかけとなったのもこの車中での話題があったからで、葬儀委員長さんがお寺さんに「あの世ってあるんですか?」と質問をされ、お寺さんが「十王経」のことを解説されたことで、その日の内に十王経に関する書物を探して繙いていた。

「中陰とは何か?」「四有(しう)とは何か?」なんて始めたことが題材になり、初七日から始まる「あの世」の裁判に興味を抱き、35日担当の閻魔大王についても台湾の資料を調べたことも憶えている。

「あの世」の存在を信じることで人生が大きく替わることは確かなことで、犯罪も激減すると信じたいが、十王経典は本当に興味深い題材で、私が好きだった「中国故事」で主人公が裁判官と話し合う光景も小説に出て来る。

書き始めたのは40年まえのことだが、知人の印刷屋さんにお願いして上下二段になった専用の原稿用紙を印刷して貰い、鉛筆で手書きだったので大変で、2回書き直したので400字詰め原稿用紙に換算すると1600枚書いたことになる。

今日の写真は「鞆の浦」を。
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