2019-06-30

大雨!  NO 8512

霧島ホテル 大浴場我が大阪も猛烈な雨が降った。午後1時頃は今日を感じるような状況で、予想もしなかった場所で雨漏りしているのを目にしてびっくりした。

ニュースで熊本の豪雨を観ていた。川が氾濫したり道路が冠水していたが、何度か行ったことのある江津湖も大変な状況になっていた。

大きな地震で甚大な被害が出た益城町でも避難勧告が出ていたが、実際に避難行動されていたのは19所帯だそうで、「大丈夫?」と思った。

昨日の放送の「ブラタモリ」で阿蘇を採り上げていた。タモリ氏の博識にはいつも感服するが、今回も阿蘇のカルデラ式火山に関するやりとりには改めてびっくりした。

阿蘇全体が眺められる「大観峰」も紹介されていたが、57号線の大津の町を過ぎたところから左折して山間に入る道が好きで、「やまなみハイウェイ」を走行する際にはいつもこの経路で大観峰を経ていた。

熊本で忘れられないのが過去に何度か触れた集中豪雨で、1990年7月1日から2日に掛けての豪雨は衝撃的レベルであった。

友人達と阿蘇高原ホテルに宿泊して次の日のラウンドを楽しみにしていたら、深夜から降り出した雨が尋常ではなく、雨音で寝られないほどだった。

それぞれがシングルの部屋になっていたが、廊下を挟んでコースが見える側の部屋にいた友人が午前5時過ぎにやって来て彼の部屋からコースを観たら、フェアウェイが川のような状態になっており、グリーンもバンカーも池のようになっていた。

そんな様子を目にした瞬間にただ事ではないと直感し、6時過ぎに朝食を済ませてホテルを脱出して熊本市内へ向かおうと提案したが、ホテルを出発して57号線を下ると赤色灯を回転させたパトカーや消防自動車とすれ違い、自衛隊のトラックの前面に「救援」という旗が貼り付けられていた。

大津市内は完全に冠水状態で、ブレーキのパッドをぬらさないように左足でペダルを踏みながら運転、やっと九州自動車道のインターまで到着したら「福岡方面通行止め」となっており、豪雨の中を松橋、八代、人吉を経て鹿児島空港の近くまで行ってしまい、「空港36」というゴルフ場でハーフだけラウンドし、霧島ホテルに宿泊することになった。 


九州在住の友人が3人いたので夕食を共にしたが、彼らはホテルを出発して帰宅したのは朝方だったと知って気の毒だったが、我々大阪組の3人は好天に恵まれてラウンドを楽しんで帰阪した。

前述の豪雨で「豊肥本線」が1年3ヶ月不通になったことを後日に知ったが、あの雨の恐ろしさは今でも強烈な印象として残っている。

ここで私と深いご仏縁のある愛媛県松山市の歴史ある同業者のブログ「愛するこどもたちへ」に悲しい葬儀の体験団があったので転載申し上げる。

葬儀の仕事  葬儀司会
孤独な死を迎えたご老人がいました

届出人になってくれる方が見当たらず

火葬許可がおりません 

市の職員さんが血のつながりのある方を

懸命に探してくれました

遠く離れた場所に 血のつながりのある方が見つかりました

娘様が存在していたのです

空港までお迎えに行きました

車内でお話をしました

幼い頃に両親が離婚して 

父との思い出が何もないと言っていました

式場の安置室に案内しました

彼女は肩を震わせながら 棺へと歩いていきました

記憶のないお父さんの額に手をあてて

お父さん… お父さん…

と 泣いていました…
私も泣きました…
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net