2014-03-11

手を合わせながら  NO 3574


今日は「東日本大震災」から3年目となるが、あの日から3年で「震度1」以上の地震が1万回を超えているというのだから改めて恐怖を感じ、大地震が発生しないように願って手を合わせてしまう。

多くの犠牲者の存在があった。まだ行方不明者もおられるし、避難生活を余儀なくされている人達も多いが、震災後に亡くなられた「関連死」の事実についても忘れないように考えたい。

こ れまで多くの方々のお通夜や葬儀を担当させていただいた私の仕事だが、そこで学んだことは大切な人を亡くされ、「家族」がある日突然に「遺族」と呼ばれる ことになったケースであり、世の中には「事故」や「事件」の被害者もおられるが、自然災害は怒りをぶつける対象が「自然」なので複雑な心境に陥ってしまう ことで、その事実の瞬間から時計がずっと止まったままという人生を過ごされることが多いことである。

大阪も阪神淡路大震災を体験したが、就寝中の暁方に感じた揺れは衝撃的で、二度と体験
したくないものだが、その後に交流が始まった葬儀のプロ達の中に、大震災で2千名を超える犠牲者のために不眠不休で対応した神戸の同業者がおられ、当時の体験話を拝聴して涙を流したことが忘れられない。

弊 社では開式前にオリジナルな「奉儀」というひとときを行っているが、「会場空間」を「儀式空間」として「神変(しんぺん)」させることを目的に発想したも のだが、その背景には「大切な方の大切な儀式に大切な宗教者を迎える」環境を整える思いがあり、そこで行うひとときの一つである「献灯」にあっても、ライ ターの火ではなくマッチを準備し、そのマッチを入れているケースも「3・17」という印字が入った銀色のもので、神戸の震災メモリアル館で入手して来たも のに拘っている。

そんな発想が話題を呼んで全国に広がって行った歴史があるが、意義やプロセスこそが重要なのに、耳から入手しただけの情 報で始めた「真似ぶ」的行動は本当に羞恥のレベルで、弊社に研修に来社された同業者が本物を見学され、初めて意味を知って180度変更されたケースも多く あったことも事実である。

言葉、音楽などもオリジナルだが、その拘りこそが「真似ぶ」と「学ぶ」の差異で、本物と偽物の違いだと自負している。

シーンのブログ「会長のコラム」では過日に行った広島県で立ち寄った「鞆の浦」のことに触れ、坂本龍馬の海援隊が借りていた「いろは丸」が紀州藩の船と衝突した出来事を書いておいたが、ご興味があればトップページからシーンのページへどうぞ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net