2021-06-14

もう半世紀が  ǸО 8790

鳥羽駅前号の宇治山田駅だが、皇室や要人が利用するところから貴賓室も存在している。貴賓室のある駅として知られるのは東京駅だが、過去には神戸駅、上野駅にも存在していたそうだし、日光駅にも存在している。

数年前に文字を訪れた際に門司港駅に見学に行ったら、貴賓室があってびっくりしたが、昔は庶民の知らない世界が多くあったことになる。

宇治山田駅の3階ホームから特急バスで賢島を結ぶ路線があったが、このバスが登場するまでは宇治山田駅の前から鳥羽行のトレーラーバスが出ていたことを憶えている。

二見の旅館街を経て国道に戻るとすぐにトンネルに入るが、このトンネルを走行した際に都市伝説みたいな不思議な光景が見られた。

現在の道路交通法ではトンネルを走行する場合にはヘッドライトを点灯させるが、私の青春時代にこのトンネルを走行した際、どの車も右側のウインカーを点滅させており、それがマナーみたいになっていたのかもしれない。

宇治山田駅前のトレーラーバスには忘れられない思い出がある。小学校の2年生だっと記憶するがやってきたトレーラーバスにが満員となってしまい、臨時で運転された後続のバスに気づいて乗車したのだが、二見と鳥羽の中間辺りのカーブで、前方を走行していたトレーラーバスの姿が見えなくなり、ガードレールを突き破って崖の下へ落ちて大勢の死傷者が出たが。もしも前のバスに乗っていたと考えたら恐ろしく、それは私の運命を左右した出来事と言えるだろう。

それは先生の誘いから数人の生徒が伊勢市駅のすぐ近くにある映画館に行った帰りのことだったが、伊勢市駅から宇治山田駅まで歩いても近い距離だった。

その時の先生に可愛がってもらい、2年生の時に自宅へ連れて行ってくださり、軍人だったというお父さんの立派なサーベルを見せて貰ったが、大阪へ転校することを知られた際、「これをプレゼントするからね」と渡された物はお音楽の「指揮棒」で、ずっと音楽に親しむ人生を送ってきたし、葬儀音楽CD「慈曲」の監修や「逝かれし人へ」の作曲もその影響があったのかもしれない。

1年生の先生が「峯尾先生」で、2年生の時は「下世古先生」だった。

金鉄志摩線の志摩磯部駅はスペイン風の立派な駅舎だが、スペイン村へのシャトルバスが鵜方駅に移ってからは閑散としてしまい、このまま進めば廃墟の候補になってしまう。

母の兄が磯部町の町議会議員をしていた時にスペイン村が誘致されたが、その叔父も随分昔に亡くなってしまい、高い技術の大工で、釘を一本も使わない家を建ててくれて住んでいたが、大きな台風で屋根を飛ばされ、台風一過で青空が見えたことをはっきりと記憶している。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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