2021-06-13

ああ懐かしい  ǸО 8789

宇治山田駅一昨日の「ブラタモリ」の中で近鉄宇治山田駅のことが採り上げられ、近鉄の広報課の方が解説されていた。登録有形文化財となっているが、東武鉄道の浅草駅と南海電鉄難波駅のビルと同じ設計者である。

番組の中で駅前から路面電車みたいなバスに乗って効果のホームに上がって行ったが、そこには転車台も存在しており、特急電車から賢島行きの特急バスが運行されていた時代がある。

伊勢にはよく行ったが特急で宇治山田駅に到着すると多くの人たちがバスの切符を求めて混乱していたが、定員オーバーの場合にはすぐに別のバスが出て来るのであわてるひつようはなく、それを知ってから私も落ち着いていた、

賢島行きの特急バスは、二見と鳥羽を経て志摩磯部から賢島へ向かうが、狭軌だった志摩線
標準軌に転換され、宇治山田駅と鳥羽間に新線が完成してからバスはなくなった。

過日の号で料理旅館「皮梅」のことに触れたが、このすぐ近くに「川八」という老舗料理店が存在していた時代があり、昭和天皇の行幸の際に昼食場所になって話題を呼んでいた。

新線が運転された頃、鳥羽を通らないで志摩磯部へ直行できる「伊勢道路」が完成し、内宮の少し手前から左折してトンネルをいくつか抜けるとダムみたいなところへ出ることになり、そこから5分ほどで志摩磯部の町に着くことが出来た。前述の川八もこの伊勢道路につながる感染の川沿いに料理旅館を建設し、別に国民宿舎も運営しており、三重交通の観光コースに選択され、一世を風靡した時代があった。

私が運転免許を取得して購入した車はマツダのファミリアだったが、伊勢道路が開通してからしばらくした頃、母が親戚の結婚披露宴の出席するために車で送ったことがあった。

披露宴の会場は前述の川八で「母からここが遠い親戚に当る」と教えられた。この地域は恵利原と呼ばれる地名で妻の妹の旦那さんがこの地の出身で、近衛兵が二人も出ている名家で、母から「悪いことしないでね」と何度も言われたことも懐かしい。

私が主節「葬儀屋七万歩あの世の旅」を書いたのは母からの影響で、幼い頃に天王寺に参拝した際、境内でやっていた「のぞきからくり」を見せられたからで、地獄と極楽の存在をそれから信じるようになった。

大阪のǸHKの隣にある博物館に「のぞきからくり」が存在していたが、浅草の浅草寺の仲見世を過ぎた辺りにある掲示板に「のぞきからくり」の絵があったのを目にしてびっくりしたことを憶えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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