2020-12-20

そうだった  NO 8673

広島のピピの社長のブログを訪問したら。私の著書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」のことに触れられていてびっくり。この本を出版してから間もない頃に不思議なご仏縁があったことを紹介しよう。

ある日、東京の方から電話があり、「大阪に行くのであって欲しい」と要望された。その小説を読まれたそうで、今受けている仕事で悩んでいることがあると言われた。

その方は著名な建築設計者で、東京の荒川沿いにある戸田斎場の設計を始めている中でこの小説をご笑覧され、中に出て来る「野辺の送り」という言葉に興味を抱かれ、その意味について著者である私の考え方を聞きたいという行動だった。

小高い丘を棺と共に歩み行く情景を日本人は「野辺の送り」と呼んだと説明したら、「答えが発見出来た」東京に戻って設計を全面的に変更しますと言われて帰られたが、その後に戸田斎場のオープニングセレモニーのプロデュースや司会を依頼されることになったのだから不思議なご仏縁だった。

当時の戸田斎場は世界一の火葬場よして注目されており、「野辺の送り」をヒントに霊柩車の到着場所から炉のある棟まで棺と共に歩み行くことが出来るように、回廊が設けられていた。

大阪の火葬場にも昔は等級があったそうだが、東京の大半の火葬場が民間経営になっており、「二等」「一等」「上等」「最上等」「特賓」などの等級が別れており、希望するクラスの火葬が取れないことから数日延ばされることも少なくなかった。

そんな東京の火葬料金が値上げされることになって騒がしくなっている。値上げされる金額がそのまま遺族側に関係するという指摘を業者側が反論しているが、果たしてどうなるのだろうかと注視したい。

さて、前号で友人のお母さんのことに触れたが、お父さんである後伴侶の葬儀を私が担当しており、亡くなられた赤十字病院からの搬送を寝台自動車と共に病院へ行ったら、守衛室の前に友人が立っており、そこでお父さんが亡くなられたことを知った・

それは私がこの仕事に従事した頃で、私の歴史のページに刻み込まれているが、当時の赤十字病院は微子側の道路に入り口があったことを憶えており、その後に腹部動脈瘤の手術を受けたり、膵炎で3赤い入院したこともあるので強く印象に残っている。

その友人とは面白い出来事がある。大晦日の夜、我が家で紅白歌合戦を観ていた時、その終盤で電話が鳴り、葬儀の依頼があってびっくり。先方さんが「あなたのお友達の**さんの隣です」と言われたので伝えると、「正月が飛んで仕舞った」と嘆いていた。

その葬儀、仕出し料理も行われおらず、ご近所や親戚さん達が「おせち」を持ち込んで対応されていたことを憶えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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