2018-11-04

NO 8364 短編小説 あの頃 ⑬

懐かしいクラブハウス5日の夕方に店をオープンさせたが、暖簾を掛ける重さがこれまでに体験したことのない重さを感じ、吹いている風も何か冷たいような気がした。

第一号のお客さんがそれからすぐにやって来た。あの中川である。中川は商社に勤務するサラリーマンだが、長年営業畑を過ごしているので様々な人脈があり、ドラちゃん以上の情報をすでに有して来店し、ドラちゃんを責めるような姿勢は一切なかった。

「中川さん、びっくりですね。あの会社がこんなことになるなんて信じられませんね」

「まだ倒産と決まったことじゃありません。銀行や行政の問題もありますし、債務を整理してスタートする道も残されていますから今後を注視ですね。もう我々にはどうにもならないのですから」

ドラちゃんが反対に中川から慰められている。そんな光景を厨房の片隅で目にしていたドラちゃんの奥さんが中川の人柄に手を合わせていた。

「おめでとう。今年もよろしくね」と元気な声で来店してくれたのが常連の会計士で、ドラちゃんが今の状況を最も歓迎する人物でもあった。

「年末に飛び込んで来たニュースには驚いたね。心配していたことが現実になって社会が混乱すると思うよ。ゴルフ場が閉鎖となってラウンドが出来なくなるということは今のところ心配ないよ。これから債権者会議なども行われて事後整理に進むけど、会員権相場の下落は覚悟しなければならないよ。

会計士は中川が入会したゴルフ場もオープンするだろうと持論を展開した。ゴルフ業界で最も知られた有名企業グループがこんな状況になったのは、海外のゴルフ場の買収に資本をつぎ込んだからで、国内だけにしておけばこんなことにならなかったと断言した。

ゴルフ場を新規オープンするには100億円を要すると言われるが、それを会員の預託金で賄おうとすると1000人の募集が必要だが、そのゴルフ場を担保にして次のゴルフ場の建設の向かうならまだしも、外国の名門コースをステータス目的に300億円も拠出するなんて何処かへ皺寄せが来るのは必然で、健全な経営母体が一気に坂を転がる状況になったと分析する会計士の言葉に2人は納得していた。

それからの新聞広告の会員権相場は売り一色で、ドラちゃんの有するコースも信じられない額になってしまった。

ある日、新聞に知られる信用組合が破綻したニュースがあった。しばらくすると別の信用組合の取り付け騒ぎがニュースになり、国や府の保証で預金が保護されたが、社会経済に何やら暗雲が立ち込めたような中、大手の証券会社が破綻。多くの金融機関の不良債権も表面化。一気にバブル景気が崩壊の道に落ち込んでしまった。

2億円を超えていた吉村のコースも1億円を切り、来店する客の中でゴルフをする人達の会話の中に「売っていたらよかった」という言葉を多く耳にするようになった。

ドラちゃんの店の客足が一気に落ちた。決して高級店ではない中間層を対象にした店舗だが、同じ道路沿いに店舗を構える高級割烹店が「客が激減した」と嘆いていた。

社会は一気に不景気風が吹き始めた。テレビ番組で解説する専門家達が口を揃えて「今までが異常だった」と言っているが、どうしてこうなる前に言わなかったおだと思うドラちゃんだった。

新聞や週刊誌の見出しに「バブル崩壊」という文字が目立っていたし、不動産業者が多くの夫妻を抱えて倒産したことも起きた、それらが不良債権となってしまった銀行の痛手も尋常ではなく、日本経済はまさに急転直下の混乱に陥っていた。

ゴルフ場も来場が激減し、キャディーさんの退職も増えて4人乗りのカートでセルフプレーを打ち出すケースも当たり前になったが、それでも超名門コースは従来の態勢を頑なに遵守しており、しっかりとした母体の支えとメンバーの誇りと言う意識がそうさせていたとも言えた。

プレー費用の下落も顕著だった。平日にキャディーさん付きで26000円だったコースが、キャディーさんなしのセルフプレーで昼食付6500円になったのだから若い人達に歓迎されるだろうと思われたが、若い人達がゴルフ場に行くことは全く増えず、社会の空気がそれを許さないような環境になっていたとも言えるだろう。

まだ初ラウンドの済んでいない水野が社長室に呼ばれたのはそんな頃だった。取引銀行の支店長の姿もあって想像もしなかった提案が伝えられた。

「水野君、実はこの支店長からの強い依頼があってね、君をしばらく出向して欲しいと言われるのだよ」  続く
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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