2020-03-16

歩くことを目的に?  NO 8738

明石焼き無性に「明石焼き」が食べたくなって妻を伴って阿倍野の「たこつぼ」へ行った。少し時間が早かったので近くの喫茶店まで戻って過ごし、お昼の開店時間に行ったら、すでに5人の先客が入り口で待っていた。

何度も行っているし「タコ抜き」で注文をする変な爺さんなので憶えられているようだが、女性スタッフは初めてのひとで、「タコ抜き」とお願いするとびっくりされた。

あちこちで「明石焼き」を食べているが、私に合っているのかも知れないが、この「たこつぼ」を気に入っている。序でにお好み焼きを食べてから近鉄百貨店まで戻り、天王寺駅の4階にある甘との店「ちさと」で黒蜜の「ところてん」を食べて来た。

誤解を招いたらいけないので書いておくが、妻の「ところてん」の方は「酢」を選択していた。

お好み焼きを食べて甘党の店に立ち寄るのが定番コースだが、国道25号線沿いにあった「寺田町食堂」が「パーラー」に代わったと思っていたら昨秋に閉業されてしまい「クリームみつ豆」が食べられなくなって寂しいが、今日、前を通ると店内を片付ける工事が行われており、何か新しい店舗が出来るのだろうかと気になった。

お好み焼きの「千代さん」も改装工事中だし、真向かいにあるお好み焼きの「風月」も今月の20日過ぎに閉業されるので、源ヶ橋交差点から寺田町駅の間は飲食店の入れ替わりが激しく、最近はラーメンの店が増えている。

寺田町駅の構内で大型のキャリーバッグを転がす外国人の姿をよく見掛けたが、最近は目にすることがなく、これもころなの影響なのだろうかと思っている。

商店街を数人で歩く外国人の姿も多かったが、最近は全く出会うことはなく、民泊を利用する人達が激減しているのかもしれない。

様々な外国語が飛び交っていた商店がだったが、寺田町駅を西に裏道に入ればベトナム料理の店があるし、源ヶ橋の交差点から猫間川筋の方へ入るとイスラム系らしい店舗があるので気になっている。

そうそう、阿倍野筋を通っている時、路面電車の阪堺線の電車を何度か目にしたが、車体番号が700番台」と「800番台」だったのでびっくりした。

5年間、この電車で通学した時代があり、上町線の古い電車に「500番台」の新車が登場したことを憶えているので懐かしかった。

近鉄百貨店の西側にある阪堺線の駅は、当時は平野行きも存在し、阿倍野斎場の交差点から文の里を経て平野駅まで現在の阪神高速道路の下を走っていたし、現在のJR天王寺駅の南端の番線には南海電鉄の電車が乗り入れており、今池を経て天下茶屋まで結んでいた。

前にも書いたことがあるが、当時の国鉄の料金は大阪駅まで大人10円で子供は5円だったし、国道25号線を市電が走り、百済から恵美須町、桜川2丁目を経て福島西通りまで結んでいたが、大阪市バスも市電も子供10円だったことから、市電で恵美須町まで行き、阪堺線に乗り換えて住吉の方へ行ったことも憶えている。

当時は環状線のことを「省線」と呼称していたが、大阪城公園駅はなく、森ノ宮の次は京橋となっていた。

確か黒っぽい車両だったと記憶しているが、オレンジ色の大阪環状線の代名詞となった電車が登場するのは随分と経ってからだった。

今日の写真は広島のピピの社長のブログから拝借した「たこつぼ」の「明石焼き」を。この「たこつぼ」さんは子ども食堂に協力をされており、私も「1000円」を募金してきた。
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