2020-01-17

もう25年目  NO 8686

朝から病院へ行き、主治医の先生CD 慈曲害」による可能性が高く、まだどの薬という結論が出ていないそうだが、いやはや薬とは恐ろしいものだ。

40度を超す高熱から脱出できた妻だが、鼻の管を抜かれて点滴も今日で終わったので一安心だが、高熱の後遺症がないのかと心配している。

1回目の退院の日に、歩行時にパーキンソン症候群みたいな兆候が見られたので気になっていたが、それも「薬害」の影響からで、今では手の震えもなくなって自分で立って歩けるのだが、これはこれで勝手な行動をすると大変なことになるので、看護師さん達神経を遣ってくれている。

ベッドのパイプに触れるとセンサー感知が出来るようになっており、私が病室にいる時間だけ接続を停止しているが、帰る時はナースステーションに帰ることを伝えなければならない。

ちょっと食欲が落ちている私だが、薬を服用しなければならないので桃谷商店街の中の喫茶店に入った。奥行きの深い店内だったが、メニューから「フルーツホットケーキ」を選択したら、びっくりするほどフルーツが添えられてあり、アイスクリームあったのでこれで夕食代わりにしておいた。

帰路は猫間側筋を南下して30分歩いて帰宅した。毎日かなりの歩行数を記録しているが、脹脛は第二の心臓という言葉が気になっており、少しでも寝た切りにならないように努力している。

まだ後期高齢者まで少し年数があるが、晩年の楽しみは温泉旅行で知人や友人に会うことである。

年賀状に「来なさいよ」と誘ってくれていた文面もあったし、「再会を楽しみにしています」というのも数通あったが、同年代の人達がそれぞれ健康のために努力していることも知った。

今日は阪神淡路大震災から25年目を迎えた。あの日の出来事は私の人生で絶対に忘れることの出来ない揺れを感じ、我が家の軋む音に倒壊するのでは富震えたことを記憶している。

この日に私が司会を担当した葬儀が2件あったが、午後の葬儀で大正区の小林斎場に同行したが、阿倍野の近鉄百貨店から西の一帯が停電しており、交差点の信号が作動していなかったので大変だった。

その時の導師を務められた方は、遠方から自転車で式場まで来られており、「大変な地震でしたね。車で出ようと思ったら道路がどうにもならない状態だったので早めに自転車で来ました」と仰っていたが、参列された親戚さん達も半分ぐらいの方が来られず、二重の悲しみになってしまうお気の毒な現実も忘れられない。

葬儀音楽CD「慈曲」の慣習に関して作曲者にイメージを伝えるシナリオを描いたが、夫を送られる奥さんがお寺の廊下を歩きながら式場である本堂に向かわれる心境を創作したものもあった。

「あなたとの思い出がたくさんあります。でも悲し過ぎますからその思い出の少しだけしたためて棺の中に入れます。どうかあなたの逝かれる遠い国へと運んで下さい。あなたのために大勢の方々が参列下さっています。私は喪主として立派にあなたの葬儀を務めます。泣かないように側にいてくださいね」

そんな心境を見事に旋律として作曲してくれた天才音楽家だった「高橋三鈴さん」もなくなっておられることを知った。北海道から九州まであちこちの大規模葬儀でご一緒したが、どんな曲でも瞬時にレクイエムバージョンで演奏する技術は衝撃的レベルであり、それを紹介するテレビ番組でもご一緒したことが懐かしい。

オーケストラバージョンに仕上げるのにご自身で演奏された物を多重録音されて完成した代物だが、全国で彼女の作品が流れている。

懐かしいテレビドラマ「七人の刑事」の主題歌を歌っておらた西川慶さん」のコンサート前に音響のチェックで彼女のシンセサイザー演奏に合わせて私がハーモニカで「アマポーラ」を吹いていたら、「西川慶さん」がやって来られて「びっくりするほどうまいなあ」と驚かれたことも懐かしい。

今日の写真は「慈曲」のCDを。
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