2019-04-30

よい時代でありますように  NO 8487

テレビや新聞で話題なったこと今日で「平成」の時代が終わった。明日から「令和」の元号が始まるが、過去に皇室に関する思い出を改めて懐かしく感じた。

妻の両親はすでに亡くなっているが、伊勢神宮へ参拝後に賢島のホテルで宿泊し、美味しい魚料理を楽しまれ、次の日は松阪の「和田金」で焼き肉を食べ、「特急 南紀」で勝浦に宿泊したが、知られるホテル「浦島」が予約いっぱいで仕方がなく、「ホテル 中之島」を利用した。

勝浦港から船で向かうのだが、港の雰囲気が尋常ではなく、出発した船内でスタッフの人に聞いたら、美智子様がご長女と一緒に勝浦へ来られ、「ホテル 浦島」の山上館に宿泊されることを知った。

そのことを知った両親は「よい土産話が出来た」と喜んでいたが、次の日に太地へ行かれる校庭を知り、交通規制が予想されたので早朝に出発して太地へ行ったことが正解だった。

阪神淡路大震災のことは忘れられないが、10年目の追悼式の設営を担当された神戸の「公詢社」の社長から前日の設営を見せて貰い、完成後のリハーサルで私が天皇陛下の役をさせて貰ったことは今でも信じられない体験で、扉が開いて「お席」まで歩いたら、関係者の方から「陛下はそんなに速く歩かれません」と言われ、もう一度やり直したことも懐かしい。

一方で葬儀音楽のCDを監修し、それをベースに発送した「慈曲葬」を発表したのも2000年だった。3回に分けてシミュレーション・デモを行ったが、テレビや新聞で話題になり、毎日新聞の夕刊の一面にカラー記事で紹介されたことは私の誇りとなっている。

NHKテレビでも紹介されたし、ビジネスサテライトの番組では特集され、「成長の間違いない葬祭業の最前線ビジネスを紹介します」と放送されてから多くの取材があったこともびっくりだった。

「慈曲」のCDはその後に読売テレビの「宗教の時間」でも特集され、私と作曲者の打ち合わせ風景も流れたが、「哀惜の花達」を使用したホテル葬儀での献灯の実際の映像も放送されて大きな話題となった。

「慈曲」のCDは双子の姉妹として有名だった「きんさん・ぎんさん」の葬儀でも使用され、ニュース映像を通して世に広まったことも思い出として残っている。

私の人生にあって10年前に大病を患ったことは想定外だった。後遺症で障害者となってしまったので運転免許証も返納したし、60代を迎えたらフェリーで北海道へ行って車で温泉巡りをする夢も出来なくなったが、JRの「ジパング倶楽部」に入会して活用している。

葬儀の司会者として全国的に知られた自分が、まさか大病で声帯に不具合が発生するとは皮肉なことで、まさに「発声」に問題が生じた訳である。

杖を手に歩けることは幸いだし、着替えや入浴が自分自身で可能なので助かっているが、フラフラ感が強くなってきている現実と、目が不自由になりつつある傾向に苦しんでいる。

そんな「おかしな声」で講演活動をしており、声のリハビリから言語のコミュニケーションが可能になったことには手を合わせている。命ある限り、あちこちに出掛け、「命の教育」などを伝えたいと考えている。

昨年に大きな被害を受けた「台風21号」の恐怖体験は二度とご免である。ニュースで和歌山や関西空港で50メートル以上の暴風を知って震えていたら、15分ほど経ったら猛烈な暴風が吹き始め、我が家は1時間ほど揺れて酔いそうになっていた。

ニュースで「阪神間に再上陸」と流れたので「これで治まってくる」と安心していたら、それからの暴風が強まり、我が家の3階から4階部分の外壁に大きな被害が出た。

高齢になって年金生活の我が夫婦にとって、高額な工事費用は大変だったが、今しばらくはこの世に存命するつもりなので建物全てを塗装して貰った。

台風の次の日だったと記憶するが、この「独り言」で北海道の旅行に触れて「北海道の地震が気になる」と書いたら、それから数時間後に北海道で大きな地震が発生してまるで予言をしたようになってしまった。

もう1時間半もすれば新元号「令和」の時代を迎える。地震や台風などの自然災害が発生しないことを願って平成最後の「独り言」を結ぶ。

今日の写真は2000年に発表した「慈曲葬」のひとこまを。遺影のモデルは妻である。
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