2022-02-20

オリンピック閉会日  ǸО 8828

阪堺電車テレビの健康番組で更年期障害の特集を観たら、男性にも「症候群的」な症状がみられることもあることを知った。

家庭などで周囲の環境が著しく変化した際、病名の不明な様々な症状に悩まされることもあるようで、昨日に後期高齢者になった妻も子供達の留学や下宿生活を始めたことから始まったみたいで、眼科、耳鼻科を始めに十数枚の診察券を持っていてびっくりしたことがあった。

何処の病院へ行っても「何もありません」と言われるし、親しい医院の先生から「更年期障害のようだ」と言われたことも憶えている。

それが急に酷くなったのは娘夫婦がアメリカに行くことになり、初孫を連れて行ってしまった時のことだった。

出発する前に現地の住居や幼稚園などの手続きも必要で、1週間我が家で初孫の面倒を見たが、それは我々夫婦にとって何よりの至福の時間でも、指宿旅行で過した後にアメリカへ旅立ってしまい、その後にリバウンドとして現れた精神的ショックのストレスは半端じゃなく、夫婦揃って更年期障害みたいになってしまった。

当時、私は「ホテル葬」の立ち上げに奔走しており、1週間で新幹線を5000キロも利用した時期でもあり、博多発、小倉発、東京発の「のぞみ」の最終便に何度乗ったか数え切れないほどだった。

その間留守番をするのは妻だが、更年期障害が酷くなってしまうことになり、躁鬱状態が酷くなって大変だったことを憶えている。

そんな時期に知人から「民生児童委員」になって欲しいと妻が勧誘され、断れなくて就任してしまったが、会合も多くて苦痛となったこと拍車を掛けたみたいで、夫婦揃って心療内科を受診するようになってしまった。

鬱状態に陥ったら、一歩も外へ出ることもなく、掛かって来た電話にも対応しないので大変だった、食事は「食べないと私が弱ってしまう」と言って連れ出し、友人の割烹で助けて貰ったことも懐かしい。

幸いだったことはいい先生との出会いがあったことで、それから10年間を温かく見守ってくださり、私へのアドバイスも的確で、本当に助けられたと感謝している。

その先生もお亡くなりになられ、今は息子さんが院長先生として対応くださっているが、施設へ入る前には定期診断で服用する薬を貰っていた。

今日の写真は、天王寺から浜寺公園を結ぶ阪堺電車の古い車体だが、小学校5年生から5年間通学に使った頃はこれより古いタイプも走っていた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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