2019-04-02

楽しかった再会  NO 8463

トゥクトゥク今日は久し振りに葬儀のプロ田と達と会った。待ち合わせは我が家の最寄り駅の寺田町駅だったが、お好み焼きの「千代さん」名前にさしかかったところで広報から名前が呼ばれてびっくり。待ち合わせ時間より30分速く到着したそうで私のよく利用する飲食店に来られていた。

皆さんそれぞれにお元気そうで安堵したが、他府県から来られていた人物が地元の業界団体の理事長に就任され、激変する葬祭業界の現実と将来について話し合った。

高齢社会になって成長産業と捉えられていた葬祭業界だが、20年以上も前に私が指摘していたように斜陽産業の道を転げ始めている。銀行団体や総研の団体からも講演依頼があって「斜陽産業」と断言して驚かれたが、指摘したとおりの現実を迎えて各方面から改めて先見性の背景を求められる昨今となっている。

礼節と謙虚がキーワードとなっていた筈の葬儀が大きく様変り。大手冠婚葬祭互助会や大手スーパーまで参入し、「直葬」や「一日葬」の言葉を打ち出す業者も登場。極め付きは「早割」やドライブスルー形式まで登場し、ネット社会の広告を利用した「小さなお葬式」というキャッチコピーが目立っており、二重の悲しみを体験した人も少なくないのではと想像している。

駅へ向かう途中、小学生時代から見かけていた若い女性と会った。「父の葬儀でお世話になってありがとうございました」と言われたが、深い交流の会ったお父さんのご逝去を知らなかったので衝撃を受けた。担当者に私や妻との交流の事実を告げたらしいが、残念ながら知らされることはなく、前述した礼節や謙虚とはほど遠い葬儀社になってしまったようで恥ずかしい。

今日会ったプロ達は現役時代の私の葬儀の世界を熟知しており、それらは「かたち」となって具現化され、その地のオンリーワン葬儀社、ベストワン葬儀社として君臨している。

昔、大学を卒業して社会人になった友人の息子に掛けた言葉があった。「大物になる必要はないよ。しかし本物になれよ」というものだが、数年前に手紙を貰って彼が本物の道を歩んでいることを知って嬉しくなった。

共通する北海道や九州の仲間達のことも話題になったが、それぞれの地で見事に花を咲かせているようで嬉しいが、何より地元で歓迎される存在になっていることが素晴らしいと言っておいた。

30年も前に我が業界で突飛な意見を言って嘲笑されていたこともあったが、ホテル葬儀や無宗教葬、家族葬の流行を予見していたことなどが現実となり、改めて近い将来のことについて意見を求められることが増えた。

近々に九州で宗教関係の講演を担当するが、演題は「命の伝達」で激変する葬儀の将来の危機感を話す予定だが、葬儀の意義についても伝えたいことがある。

出席される方はお寺様が中心だが、檀家の役員さんやご仏縁のある葬儀社も参加されるようだ。大病を患って声帯の半分を失って性質が変わったので伝達力が乏しくなったことは否めないが、1万人以上の方々の葬儀を担当した歴史は私の生き様でもある。

高僧の葬儀も担当したし、暴力団の「組葬」も何度か担当した。全国から「組長」と呼ばれる人達が300人以上が参列されるお通夜の司会を担当したこともあるが、社葬、合同葬、ホテ
ル葬、偲ぶ会、お別れの会であろうと大切な方を送る悲しみの心情に変わりはなく、それこそ礼節と謙虚な姿勢で臨んできた。

そんな発想が話題を呼んだのかもしれないが、新聞の一面にカラー記事で紹介されてこともあるし、社会面のトップ記事に大きな写真で掲載されたこともあった。

私が監修した葬儀音楽CD「慈曲」も全国各地の葬儀で活用されている。北海道から九州まで全国各地の大規模な葬儀を担当したが、本物の司会者として「プロデュース」してきた誇りがある。

振り返れば過去がある。過去、現在、未来と言う言葉があるが、この世に存命する「生かされた時間」を有意義に過ごすために、我が業界の人達に伝えたいことがいっぱいある。

私の考え方は「去る人追わず」「来る人拒まず」であり、これまでに多くの人達との出会いがあった。全国に点在するその人達の存在が私の人生の財産でもある。

今日の写真は前号で書いたタイの「トゥクトゥク」を。
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