2018-03-23

あれから10年が  NO 8151

ホテル ウェルデhpから前号や前々号で触れていた九州行の合同葬だが、「幸せ列車」の「10年前の独り言」を開いて懐かしくなった。佐賀県、北九州、山陽道のサービスエリアに立ち寄って3人を送ったのだが、この時の合同葬の手伝いを担当してくれており、過日の有馬温泉での同窓会でも懐かしく再会した。

合同葬には多くの同業者が来られていたことも聞いたが、担当していた葬儀社の社長が「勉強させていただきます」と丁寧に挨拶される業者もあれば会葬者に紛れていた業者も多かったと話していたが、故人が著名な人物だったのであちこちから来られたものだろう。

手伝って貰った人達にお願いしたのは高齢の会葬者のフォローで、式場の文化ホールの段差のある空間が大変だと感じていたからだった。

献花の時間になって終えられた会葬者の中にわざわざ司会台の方へ来られて握手を求められた方も数人あってびっくりしたが、「普通じゃないね」と言われた言葉はプロとして嬉し
いことだった。

ここからは10年前の当日の「独り言」を転載する。

本番の日  NO 2158   2008-03-22

朝、目覚ましで飛び起き、洗顔とシャンプーをして朝食の会場へ。お天気は快晴、前の遊園地を目的とする子供連れのお客さん達で賑やかなバイキング風景。玉子料理を中心とした洋風の食事を軽く済ませ、部屋に戻ってモーニングに着替えて車で式場に向かった。

リハーサルは午前9時、特に気をつけたい部分を何度か行ったが、リハは出来るだけお客様のおられない時間帯で進めたいもの。一部の方々が会場内におられたが、本番でミスをすることのないように確認をし合った。

文化ホール側のミキサーさんの技量が素晴らしい。私の横で音楽機材を担当する専務が随分と助けられたようだが、照明や音響のプロとの関係がどれほど大切なものかを間違いなく学んだことだろう。

進行に関しては、目立つミスがなかって安堵。多勢の会葬者さん達の「献花」の誘導が難しかったが、何とか予定時間内で閉式となり、葬儀委員長さん遺族ご代表さんのご謝辞でプログラムのページを閉じた。

ハプニングの起きる危険性のある「ご霊位」のご入場安置と、お式の終了後に行う変換式はいつも恐怖感を感じてしまう。白い手袋をしているところから滑り易く、ご位牌やご遺骨を落とすようなことが発生したら逃げ出したくなるではないか。

それらの両方で使用されたBGMは「慈曲の②」だが、こんな情景をシナリオ化、それをイメージとして作曲に依頼して完成したオリジナル曲。如何にも雰囲気がマッチし、皆さんのご評価がすこぶる高かってホッとした。

式の内容については次号に書くが、今日は、午前2時に自宅に事故もなく到着。往復1520キロを走行して来たことになる。

帰路は、鳥栖ジャンクションから長崎道で佐賀県に入り、少しだけ寄り道、すぐに九州道へ戻って小倉東インターに立ち寄り、そこから関門海峡を通過して山口 県入り。山陽道経由で尾道手前のサービスエリアへ立ち寄り、そこで久し振りに再会したご夫婦からビックリするほど見事な野菜を頂戴した。

あまり自動運転を活用しなかったことから、アクセルを踏んでいた右足の脹脛がパンパンになって歩くと痛みを感じる。そんな状態で文化ホールの階段を何度も往復していたら、持病の腰痛が出てきて「やばい!」ことに。低頭拝礼の際にあまり曲げることが出来ないので問題がある。

葬儀委員長さんをはじめ、多くの方々から「気をつけて」とお言葉を掛けてくださったこともあり、まずは大阪の地へ到着したことをお知らせ申し上げます。

まだ、車に乗って走っているような感じがして困っています。

今日の写真はその時に宿泊していたホテルのHPから。
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