2021-06-17

優しい曲  ǸО 8793

トマム 星野リゾート数日前の号で伊勢から大阪へ点呼する際に痰飲の先生から音楽の「指揮棒」をいただいたと書いたが、それには伏線があった。

大阪の生野区林寺でこの世に生を享けた私は4歳の頃に伊勢へ転居したが、3歳の頃から歌が好きで「近所家を回って仏壇にお菓子や果物があると当時流行していた「リンゴの唄」を歌っておねだりしていた。

伊勢に移ってからもこの歌を歌うことが水で、地元の大きなイベントで歌ったこともあったし、私の音楽好き普通ではなかったようだった。

大阪へ戻ったのは小学3年生の一学期だったが。2学期からは加賀谷小学校から東粉浜小学校に転向し、毎年行動で開催されるクラス代表が歌うイベントのずっと指名されており、6年生の時は母が行動に来てくれていた。

ずっとピアノ伴奏で歌っていたのに、新任の先生が得意なアコーディオンになって「いやだなあ」と思っていたら、私の歌う晩になった時にアコーディオンが故障し、私だけピアノ伴奏で歌うという不思議なことが起きた。

そんなことからずっと音楽を愛する人生を過ごしてきたが、今日のBS番組のクラシックでピアノ伴奏でtyリストが見事な演奏をしていて感動することになり、過去に担当した大規模な車窓のことを思い出した。

曲名はサン・サーンスの「白鳥だが、シナリオを描き上げて九州へ向かう中国自動車道でCDを聞きながらオープニングのBGMで迷っていた。

その社葬は当日が個人の誕生日であり、おばあちゃんと3人の孫が祭壇に花束を奉呈する場面だったが、関門海峡の手前で「白鳥」に決定したが、その選択理由は「不幸な中で不幸でないひと時を」ということで、少し回転数を遅くして使用したら最高の雰囲気が醸し出されていた。

昨日に妻のいる施設で少し話してきたが、やっと来週にワクチン接種が聞かったそうで安堵したが、互いが感染しないことを願って手を合わせている。

昼過ぎに昼食目的で天王寺へ行き、久し振りにごちそうビルの1階にある「牛カツ」へ入ったが、前回にはなかった鉄板の下から旅館の夕食みたいに形態燃料で温めることになっていれびっくりした。

序に近鉄百貨店で「お中元」を贈ろうとフルーツショップに入ったが、担当してくれた高齢女性が「タブレットで打ち込みます」奥へ付いていったら打ち込み速度が細工で時間が掛かり4件打ち込んだところでストップを掛け、後日にまた来ますと帰ってきた。

私よりかなり年上と思ったが、指先が震えているので何度も変更している。代わって打ち込みたいと思ったが、さて時価はどうするかと迷ってしまう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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