2019-10-06

食欲の秋  NO 8598

「行きたしまかぜ車内い」「会いたい」「見たい」「食べたい」などの「たい」の欲望については何度も書いたが、これが亡くなったら「あの世に逝きたい」となってしまうので「たい」という欲望を多く心に刻むことが存命に関して重要だと思う。

そんな「たい」の中で今日は二つを解決してきた。ひとつは近鉄特急の「しまかぜ」を利用することで、二つ目は友人に要望されて行ったグルメのことだった。

「しまかぜ」は他の特急と異なって車内が静かだったが、車内販売に案内されていた「サイダー」はもう一つでちょっと残念に思った。

昔からサイダーが大好きだった人生だが、アサヒビール系列の「三ツ矢サイダー」、キリンビール系列の「キリンレモン」、サッポロビール系列の「リボンシトロン」の全てを飲み比べていた青春時代。中でも「三ツ矢サイダー」が好みだった。

過去に鹿児島に向かう飛行機の中で地ビール」ならぬ「地サイダー」があったのでCAに購入を依頼して飲んだが、これも満足には至らないレベルだった。

鹿児島中央駅から指宿まで利用した「特急いぶすきの玉手箱」の車内にも「地サイダーがあったので飲んだが、これも期待外れであった。

さて「しまかぜ」で伊勢市駅まで行って徒歩で外宮に参拝後、すぐ前にある鰻の老舗で阪神タイガースの元投手として知られる西村幸生選手の実家「喜多や」へ行く前に警衛の事務所に立ち寄り幼馴染みのことを聞いたら衝撃を受けた。

彼は警察畑で定年を迎え、その後に伊勢神宮の警衛のトップに就任していたことを知っていたので、「いつ頃に退官を?」と尋ねたら、「2年前にお亡くなりになり私も参列して参りました」と警衛的な口調で教えられたが、退官後に病気になったことも知り、県庁所在地である「津市」の葬儀式場で告別式が行われたそうで、昔のことを思い出しながら手を合わせ、彼の仕事場であった外宮と内宮の境内を歩いて来た。

日曜日だったので参拝者が多く、昨年に孫を伴って参拝した際に五十鈴川へ降りるところで歩けなくなり、石垣に腰を下ろして30分ほど過ごしたことを思い出したが、当時は自律神経の不調から半年程微熱が続いていた辛い体調だったが、今回はその問題もなく「腰痛」だけに苛まれながらも、帰宅するまでに「13000歩」を歩いたので自分でも驚いている。

「喜多や」のうな重も美味しかった。伊勢は昔から「鰻料理」でも知られているが、ランチがうな重で夕食は松阪牛野焼き肉という豪華版で、久し振りに「海津本店」へ行ってきた。

お祓い町やおかげ横丁も大賑わいで、早めにタクシーで宇治山田駅に行き、京都行きのビスタカーで松阪まで移動した。

松阪駅の北口はいつも閑散としているが、今日はタクシーが一台もいなかったので駅のスタッフに電話番号のメモを貰って電話を掛けようとするとタクシーがやって来たので「海津」へ向かった。海津の「本店」は42号線沿いだが、23号線沿いにあった「支店」は休業しているとのことだった。 

予約時間より15分ほど早く到着したが、タクシーから降りる私の杖の姿を見られたスタッフの方が、椅子席のお部屋にいたしましょうか?」と言われて助かった。

同行していた友人が「今日は自分へのご褒美の日」と言っていたが、出された食材に驚かれ、備長炭の遠赤外線で焼いた網焼きの「松阪牛は最高です!」と喜ばれて携帯で撮影していた。

途中で「もう少し食べたい」と思うと出て来るまでの時間に問題があるので、予約時に1人で「1,5」人前」を頼むことにしているが、今回は3人で「5人前」を初めから準備して貰っていたが、全てを完食したのだからびっくりである。

帰路は「しまかぜ」が松阪駅には停車しないので「伊勢志摩ライナー」を利用したが、松阪駅のホームのベンチで40分ほど過ごした。

偉大な400勝投手として知られる金田氏が享年84才でご逝去されたそうだが、奇しくも今日は偉大な投手であった「西村幸生」選手のご実家でランチタイムを過ごしており、店内に様々な歴史を物語る資料もあってタイガースファンなら「行かれるべき」とお勧めもうし上げる。
今日の写真は「しまかぜ」の車内で撮影した1枚を。
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