2018-08-28

寂しい話  NO 8292

台風で倒壊した風車久し振りに昼食でそばを食べた。食欲がないのでちょっと遅めの時間帯だったが、店の前に観たことのある電動自転車が置いてある。hyとおしたらと思って店内に入ったら友人だった。

3ヶ月振りの再会だった、彼も体調を崩して入院していたこともあり、互いの体調を慰め合って来た。

寂しい話を聞いた。注文の品をテーブルに運んできてくれた女将さんが、「長い間お世話になりましたが、今月いっぱいで閉業することになりました」と言われたからだ。

過去にご夫婦と一緒に伊勢神宮に参拝し、松阪の「海津」で網焼きの肉を食べ、帰路の名阪国道の上柘植近くにあるスーパー銭湯に立ち寄ったことがあるし、その後に常連客達と一緒に3台の車に分乗して同じ行程を走行し。帰路に榊原温泉に立ち寄ったことがあるので懐かしい。

当時は私が運転をしていたので大病を患う前の話だが、もうあれから15年になるだろう

「ちびまる子ちゃん」の作者である「さくらももこさん」がご逝去されたというニュースがあった。享年53歳という事実が余りにもショックだが、友人がいつも幼稚園に通う孫と一緒に観ていた話を聞いたことがあるので残念である。

「命」には「宿命」「使命」「寿命」という三つがあると教えられたことがあるが、この世を出立してしまったら、その人物の全ての才能も一緒になくなってしまうので勿体ないと嘆きが生じる。

作品は遺作となって残されることになるが、新作が生まれないことが何より寂しいこと。私は音楽が好きでクラシックの名曲を遺した偉大な作曲家の歴史の書物を読んだこともある。

年表からすると我が国が江戸時代で徳川好吉宗が亡くなる2年前の1749年にヘンデルが管弦楽組曲「応急の花火の音楽」を発表していた事実に驚いた覚えがあるが、残された名曲がその後も何度も演奏され、これからも繰り返されて連綿と続くことは素晴らしいと思っている。

これまでに何度か書いたが、「花」や「荒城の月」を遺した滝廉太郎や、薄幸の詩人「金子みすゞ」が平均年齢まで存命されていたら、どんな作品を誕生させたかと残念に思えてならない。

障害者の雇用にあって国家の中枢の省庁が誤魔化していた事実が判明、安倍政権の危うい裏側を顕著に物語るような気がするが、総裁選の前になんでこんなことが表面化したのかと考えるとややこしい。

病院でエアコンの故障を原因とするかもしれない高齢者が4名も亡くなってしまった出来事も悲しいことだ。今年の異常な猛暑の中で扇風機で代用は不可能だろうと想像する。「電気代が高額になってもエアコンを入れ続けなければ熱中症にな危険性がある」と医師から指導されたことを実行したが、果たして今月分の電気代はどうなっているのだろうか。

今日の写真は過日の台風20号で倒壊した淡路島の風力発電の風車だが、上述したご夫婦と松阪に行った帰路に青山高原の上に並ぶ風車を見学に行ったことを思い出した。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net