2022-12-12

死ぬまでにあの景色を  ǸО 9008

「しまかぜ」の車内にて
伊勢神宮へ何度も参拝したが、ずっと心残りになっていることがある。妻の友人を伴って行った際、下宮の駐車場前にある「ウナギ料理店へ寄ろうと思ったら、2回休業日に当って食べられなかったこともそうだが、この店は巨人の沢村投手が活躍した頃に阪神タイガースで活躍された西村投手のご実家で、お2人とも戦死されている史実を知った。

伊勢神宮の参拝は下宮から行くのが定説だが、下宮におられた警衛の方に「K君はお元気か?」と尋ねたら、「kさんは一昨年の亡くなられ、津市で行われた通夜と葬儀に私も参列しました」と言われて衝撃を受けた。

その2年前に親戚の不幸で伊勢へ行った際、弔問の来ていた知人が同窓の出世頭は「k君で、君伊勢神宮の警衛のトップに就任している」と教えてくれたのだが。そんなの早く亡くなられるとは想像もしなかったのでその時も会わずに帰阪していた。

私は小学校1年2年生を過ごした分教場は我が家より歩いて10分ほどの距離があったが、我が家とk君の家とは直線で50メートルぐらいで、いつも一緒に遊んでいた。

確か2年生だったと記憶するが、先生から竹の棒と紙を貰って日章旗を作ることがあった。それから数日後のこと、現在の近鉄志摩線の沓掛駅に近くの峠に生徒全員が並んで車が見えたら旗を振るように言われ、10分ほど経ったら、車列が通り、アンタッチャブルに出て来るような黒の車とあづき色の車を中心にして10台ほど通り過ぎた。

その時に横に並んで立っていたのがk君で、それは昭和天皇の行幸のお車だった。

そのk君が伊勢神宮の警衛のトップになったというのも不思議な縁で、存命中に会いたかったが果たせなくなった。

警衛のトップとなれば重要な神事や皇室やVIPが参拝される際に先導役になっていたが、警察畑を進んでいた彼の栄誉ある就任だったと思い、現役時代に会って昔話をしたかったと残念な思いを抱いている。

沓掛駅が出て来たところで、この駅の横から青峰山への登山道があり、遠足で登ったこともあるし、19歳の時に虫垂炎を患い入院し、退院してから数日伊勢で静養した際に一人で登ったこともあった。

杖を手にするようになってもこの山には頂上へ行きたい思いがあり、妻と一緒に「白木駅」で下車して登山道に挑戦したが、27丁ある行程なのに4丁目で諦めたことがあり、電車で上之郷駅に行き、知られるウナギ料理店「中六」に行ったが、11時時半頃だったのに「本日は終わりました」と張り紙があった。

その時期はちょうど伊勢志摩サミットが行われた後で、地元の人達とメリットについて聞いたが、警察関係者が宿泊した施設以外にメリットはなかったと言われていた。

頂上には真言宗「正福寺」があり、灯台もない時代から太平洋を航行する船舶が目印にしていたそうで、山脈の間から見える太平洋をもう一度見たいと思っており。死ぬまでに「鳥羽駅からタクシーで頂上にと考えている。

「中六」のすぐ前委に格式高い「伊雑宮」があり、日本三大田植え祭りが行われていることも知られるが、私の姉が「早乙女」になったことも憶えている。
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