2007-11-21

使 命  NO 2040


 昨号で書いた大阪府知事のことだが、今日のニュースでそのことについて叩かれており、「万歳」の姿に、関市長を公認した自民党、公明党などからも厳しい意見が寄せられたようだ。

 また、少し前に問題になっていた高額な講演料も退任時に寄付すると決断されたようだが、主催者や出席者が「府」に関係する入札業者達で、まさに「負」の責任を仕方なく解決した愚かな結果のようで寂しい限りである。

「人は、自身の顔に責任を持て!」という言葉があるが、行動によって善悪相応の表情というものが表れるとも言われ、彼女の人相が、就任当事に比較して悪くなったように見えるのは果たして私だけだろうかと考えてしまう。

 私は、これまでに通夜や葬儀の場にあって何度も不思議な体験をしている。それは、謝辞を代行する場合に多く、どう言うを決めていたのに全く予定外の言葉を発してしまうことで、何やらバックに存在される故人に後押しされた結果に思えてならないのである。

参列される方々に「こう言って欲しい」という思いがテレパシーのように伝わり、喋り始めて<どうして!?>と恐怖感を覚えながらも次々に言葉が浮かび、参列者の皆さんかが「そうだよな!」というような賛同の姿勢を感じながら結びを迎えることになるのだ。

 その際、重たい疲労感に襲われるのだが、しばらくすると気分がよくなり、体重が軽くなったような不思議な体感をするのだから不思議である。

  今日のテレビで「タケシの本当は怖い・・病気」という番組を観たが、昨春に私が受けた手術と同じ病気が採り上げられており、自覚症状がなく、ナレーション 的に表現すると「いつからか忍び寄っていた病の訪れに・・」というように、兆候が表れたら大半が死に至るものであり、自身の<?>から発見に至った事実を 思い浮かべながら寿命の不思議を改めて感じた内容だった。

 今年から保険適用された新しい医療技術が紹介されていたが、手術方法や医療器 具、薬剤などは1年で驚くほど進化するそうで、病気の発見や手術の時期によって寿命が大きく変わる現実にもびっくりだが、腹部大動脈瘤の手術で開腹しない 手術方や、術後3日目に退院という事実には驚嘆した。

 医師という仕事で命を救うとは崇高な世界である。一方で「死」を迎えられた方のご 終焉の儀式に携わる我々の仕事だが、そこに生まれる「遺族」と呼ばれる悲しみの「家族」の方々を救うことは出来ないが、「少しでも不幸でないひとときのプ レゼント」だけは可能な筈。そこには一生懸命に接する姿勢が基本となり、礼節なくして成り立たない世界と言えるだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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