2010-12-05

喪中葉書から NO 2649


 前号で書いた強風は半端じゃなく、全国各地で大きな被害が出ていた。

 昨日は弊社で行われた知人の葬儀に夫婦で参列。ご導師を務められたのは故人の先代さんのご不幸の際にご紹介というご仏縁に結ばれたお方。引導の結びに「喝!」とお掛けになるお言葉が凄く、会葬者だけではなく弊社のスタッフたちも驚いていた。

 会葬者の中に友人や知人が多く、それぞれの方が「迫力あったねえ。本物のお寺さんだね」と感動していたのが嬉しかった。

  夜、恒例になっているお寺の忘年会に出席。責任役員さんや檀家総代さん達と会食を共にしてきたが、臨席の人物が私と同じ病気で入院体験をされたそうでびっ くり。車の運転流に視野が暗くなって停止されたので事故には至らなかったそうだが、複視の状態で長く苦しまれた体験談んを拝聴して参考になった。

 中締めで失礼したが、200メートルほど歩いたところで別の道から坊守様が来られ、ご丁寧な挨拶をくださって恐縮。しばらくご住職の健康談義をしてから帰宅した。

 尾籠な話で恐縮だが、寒い外から温かい室内に入ると自然に鼻水たらたらで困った状況。これからの季節がいよいよ大変なこの頃である。

振り返れば休載中に様々な出来事があった。中でも大変な目に遭ったのは自宅の階段から滑り落ちたこと。下から4段目だったのでは大事に至らなかったのだが、左半身の温覚と痛覚がないために分からず、布団のシーツを血液で汚して気付く始末。

 数日後に医院に行ったら、奥様から「痛いけど我慢してね」と瘡蓋を剥がされたが、全く痛みを感じなかったので楽だった。

 今日は、初孫の誕生日。私の葬儀に対する考え方を大きく変えてくれた存在。「親を送って一人前の葬儀屋。孫を持って初めて本物の葬儀屋。それまで謙虚に」という私の抱く現在の哲学のキーワードになってくれたので感謝している。

 さて、喪中葉書が毎日のように配達されてくる。そんな中で衝撃を感じる一枚が目に留まった。今夏に中学一年生だった孫さんが急逝されたとあり、その文章にはひしひしと悲しみが滲み出ていた。

  小学生時代から誰もが驚くほど背が伸び、電車の改札や映画館では証明する保険証を携帯しなければならないほどだったし、昼間のタモリさんの番組で募集され た「170センチ以上の小学生来てくれるかなあ」に参加、そこで一番大きかったのが彼。もう180センチを超えていた。」

 中学に入って体型に合う学生服がなく、お爺ちゃんである友人が「誂えた」と嬉しそうに語っていたのをつい昨日のように思い出すと悲しいし寂しくて堪らない。

 繊細な感性の持ち主だったようで、その描かれた絵画が何度も入選という賞に輝いた記憶も新しく、ラグビーの世界で将来有望として脚光を浴びる存在でもあったが、夏季合宿で熱中症で倒れたとはあまりにも残酷ではないか。

弔問者が2000人を超えたと聞いたが、掛ける言葉が見つからず、ふと奥さんに伝えたのは室蘭市民斎場の藤井社長から教えられたこと。涙の成分についてであった。

「涙の成分はね、真っ赤な血液なんだ。それが透明になって目から流れ出るまでのプロセスが身体と心を守ってくれる。だからいっぱい泣いて上げなさい」

  涙はお孫さんへの最高の供養となろう。家族の存在が増えることは嬉しいことだが、一方でこんな体験したくない悲しみの現実も起こるのである。「どうぞ安ら かに。爺ちゃんと婆ちゃん達といつまでも仲良くお付き合いするからね。そんな言葉を、あのでっかいお孫さんに贈る」合掌。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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