2019-09-22

思い出したこと  NO 8586

昔の新聞記事台風17号が九州北部にあるようだが、深いご仏縁のある友人や知人達の在住が多いので心配している。

今後は松江市沖を通過して日本海を北上除するみたいだが、直径が半端じゃなく大きいので心配している。

今日は伊勢湾台風が上陸してから60年目に当たる日だが、四日市市などで慰霊の追悼式が行われていた報道もあった。当時は中学1年生だった私だが、大阪でもかなり強い風が吹いたことを憶えている。

近鉄の名古屋線が甚大な被害を受け、復旧するのに当時の佐伯社長が線路幅を大阪線と同じ標準軌にする英断を下し、中川駅で乗り換えなければならなかった名古屋行きを中川駅のすぐ西側でつなぐようにして名阪特急を走らせることになった。

昔の近鉄大阪線には「佐田駅」が存在していた。それは現在に榊原温泉駅だが、すぐ近くのトンネル手前で単線だったことが災いし、ヒューマンエラーから特急同士が衝突事故を起こし、それをきっかけに複線に向けて工事を行い、新しいトンネルも完成していた。

昔の佐田駅にはサイロみたいな建物があったことを憶えている。ゴルフで伊勢湾カントリーや名松ゴルフクラブに行っていたこともあり、榊原温泉駅からマイクロバスやタクシーで行ったが、友人がメンバーだった白山カントリー倶楽部や白山ビレッジにも何度か行ったことがある。
榊原ゴルフクラブでもラウンドしたことがあるが、急峻な斜面を小さなケーブルカーで降りるホールで近鉄大阪線が見える場所があったが、伊勢方面へ行った際はいつも見えるホールを懐かしく観ていた。

昨日の深夜のNHKのEテレで沖縄の基地問題の特集を放送していた。辺野古の問題も詳しく解説されていたが、鳩山総理が「少なくとも県外に」と発言したことも紹介され、地元の人達が困惑するコメントも出ていた。

私が始めて沖縄に行ったのは昭和38年の夏で高校2年生の時だった。当時はアメリカの統治下にあり、パスポートも必要だったし1ドル360円で外貨交換をしたことも記憶している。

前にも書いたが、神戸の中突堤から関西汽船の「浮島丸」に乗船し、奄美大島の名瀬港を経てあちこちの島へ立ち寄って那覇の泊港へ到着したが、現在の関西空港付近から船酔いし、沖縄到着まで何も食べられなかった苦い体験をしていた。

強風による高い波のうねりは恐怖で、周囲がうねりの波しか見えないような状況になり、船室では立って歩くことが不可能な程揺れ、ずっと「降ろしてくれ!」と心の中で悲痛な叫びをしていたが、那覇の泊港に入港する時、数千人の人達が集まっておられ、それが久米島へ向かう定期船「みどり丸」が横波を受けて転覆した事故によるものだと数時間後に知ったが、十数年前に数奇な出会いがあって驚いたことがあった。

茨城県のつくば市にあるホテル・オークラに宿泊してマッサージをお願いしたら、その方が沖縄を彷彿させるような風貌に会話が進み、「浮島丸」の話題になったら、数千人の中にその人物がおられたそうで、身内の人が犠牲者となり、港へ行っていた時に入港して来た「浮島丸」の姿を憶えておられ、そこに私が乗船していた奇遇な出来事にびっくりしたのである。

浮島丸は「2600トン」程度の貨客船だったが、数年後に関西汽船から譲渡され、東京と小笠原を結ぶ航路に就航していた。

みどり丸の事故はSOSも出せなかったことから、波間を漂流していた船員が救助されたことから事故が判明し、アメリカ軍も救難行動に尽力していた。

今日の写真は昭和38年8月17日の毎日新聞の朝刊で、事故の記事も掲載されていた。
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