2018-11-05

必然かも?  NO 8365

碁盤卓球のストックホルム大会で伊藤美誠選手が優勝したニュースがあった。準々決勝、準決勝、決勝と中国選手を破った健闘に驚嘆。心から拍手を贈る。

マイナーだった卓球もプロのリーグまで結成されてメジャーの入り口に達したようだ。そのきっかけとなったと言われた「福原愛選手」も引退された。彼女が大阪に一週間滞在して投げ上げサーブを勉強したのが阿倍野区の王子卓球場だが、引退のニュース映像の中に指導された人物が登場されたので懐かしかった。青春時代に卓球をしていたこともあり、当時に何度か対戦したことのある方がお元気だったので何よりだ。

会っても憶えておられないと想像するが、一気にその時代に突入出来ることが人生の歴史の記憶というものなのだろう。

過去に何度か書いたが、当時から中国の卓球は群を抜いていた。男子のトップに君臨されたのが「荘則棟選手」で、名古屋でのアメリカと中国のピンポン外交でも知られる人物だったが、文化大革命で大変な目に遭遇されていたので衝撃だった。

当時の日本のトップで活躍されていたのが「長谷川信彦選手」だったが、私より二日間先輩の同年代の氏は、13年前に卓球場近くの木を伐採中に倒木の下敷きになって亡くなられたニュースで信じられなかったことを記憶している。

所用があって郵便局と区役所に行った。帰路に昔の卓球仲間に会ってびっくり。それからしばらくすると懐かしい人物と会い、「久し振り」と喫茶店で過ごした。

50年前、私が囲碁を憶えた当時に何十回も対戦した相手で、2歳上の方だったが堅実な棋風だったので印象に残っている。

彼はかなり強かった。10回やって1回勝てたらびっくりと言うレベルだったが、一気に当時の思い出が蘇って花が咲いた。

運命や出会いとは不思議なこと。妻を同伴していたが、彼に会ったことが必然のタイミングのように思えてならず、先人が言った「悪いことは出来ないよ」の言葉を思い浮かべた。

区役所は整理券システムを導入していたが、受け付けてから貰った番号が1時間経過しても画面にも出ないし名前も呼ばれない。ちょっとおかしいと思って妻に窓口へ行かせたら既決分の中に埋もれていたことが判明し、無駄な時間を過ごすことになったが、待たされたことで珍しい人物と会えたのだから感謝をしよう。

この数日、不思議なことが続いている。今日の再会もその一つだが、こんなことは大歓迎だ。

今日の写真は碁盤を。覚え始めた頃は囲碁の月刊雑誌を購読し、付録にあった小冊子「次の一手」が楽しみだったが、その大半が解けなかったので「へぼ碁駄目なし」の格言が懐かしい。
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