2021-05-25

CMウィ観ながら  ǸО 8774

竹林の湯机の引き出しから懐かしい物が出てきた。それはクレジットカードで支払った領収書で、寺田町にあったお好み焼き店「風の街」の物だった。

日付を見ると2008年6月4日となっており、一階にあるこの店舗はホテルになっており、地方から出てきた人たちが利用して夕食を共にしたものだろう。

このホテルはかなりユニークなことをやっていた。チェックイン時に福引を行い、宿泊料金の割引率が変わるし、無料を引き当てたら幸運だが、まだ引き当てたという声は聞いていない。
領収書のオーダーした物を見ると生ビールが3つとある。この頃は私も飲んでいたが、その後にドクターストップになって寂しい限りだ。

最近、やたらと缶ビールのCMが目立つ。中には生ビールの宅配まで登場してびっくりだが、風呂上がりのビールの美味さは体験しており、近くの先頭に行った際にも小さな缶を飲んでいた。

ハワイに行った際に病的な偏食があるところから。現地に行く前に日本料理店を調べ、ホテルは朝食だけで、後はその料理店で「天ぷら」と生ビールを飲んでいたら、帰国した頃から体調に異変を感じ始め、それは第一回の「膵炎」入院となってしまった。

ある日の深夜に就寝中、肩甲骨付近に激痛が走り、救急車の依頼を考えるほどだったが、朝になると全く消えており、それから3日後に寝返りも不可能な激痛を伴う腰痛が3日間続き、その頃から腹部に鈍痛を感じ始め、8月の初めの夕方に医院へ行ったら、先生が腹部を抑えて「これでいたみをかんじますか?」と言われたが、何も痛みを感じなかったが、手を離される時に激痛を感じ、それを訴えると「紹介状を書くから赤十字病院の救急外来へ行きなさいと言われた。

手を離す時に痛みを感じるのは腹部に炎症があることが多く、ちょっと深刻かもと驚かされた。

タクシーで救急外来へ行くと、すぐに採血検査とCT検査が行われ、待合室で座っていると若くて美人の女医さんがニコニコされてやって来て「立派な病気です」と言われて曽於ママ入院することになった。

診察結果にはっきりと膵炎の兆候が見られ、採血検査で「アミラーゼ」と「リパーゼ」の数値が異常に高くなり、それから6日間絶食で点滴治療を受けた。

入院してから8日目で退院出来たが、退院証明書には「寛解」という文字があり。帰宅して辞書を紐解いても見つからず、ネットで調べたら医学用語で「完全に治ったともいえないが、取り敢えず問題はないだろう」ということだった。

私は腕の血管が出ないタイプで、看護師さんに嫌われる患者だったが、右手の甲に刺された時は強烈に痛かった。

退院するにあたって病室に来られた主治医の先生から「アルコールと油物は避けて生活をしてください」と言われたが、その秋に出掛けた北海道旅行で函館の湯の川温泉「竹葉新葉亭」の夕食に出た食前酒を飲んだことが悪かったみたいで「新青森駅」まで利用した「特急スーパー白鳥」の車内で痛みを感じ始め、八戸、気仙沼、東京と帰阪する途中でどんどん痛みが強くなり、帰宅してから医院へ行ったら「紹介状を書くから鉄道病院へ」と言われた。

赤十字病院が満床で、取り敢えず鉄道病院へ入院となったが、CTの結果を知らせてくださった先生が「かなり悪いよ。食事も管理栄養士さんの指導が必要だ」と言われてショックを受けたが、絶食で1夕刊を過ごしてから赤十字病院へ転院したが、前回の主治医の先生から「また来られましたね」と笑われた。
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