2021-05-22

次々に  ǸО 8771

熊本駅 新幹線側前号でパンクのことに触れたが、クラウンかセンチュリーのどちらかだったか忘れたが、名阪国道でパンクして緊急タイヤの交換した記憶がある。

名阪国道は高速道路ではないが、通行する車がかなりのスピードを出しており、少しでも早く作業をしなければと焦ったことを憶えている。

パンクで忘れられないのは友人と二人で出掛けた城之崎行きだが、帰路の丸山川の堤防の上の道路で2本のタイヤがパンクし、スペアタイヤを出したらそれも空気が抜けてしまっていて大変な目に遭った。

近くの民家に飛び込んでガソリンスタンドの電話番号を教えてもらったが、出張で高額な費用となったし、動けない状態が3時間も要したので最悪だった。

その時の友人は20代で亡くなってしまった。商店街で名前を呼ばれた際には瘦せ細っていて衝撃だったが、胃がんで全摘をしたと言っていたが、それから1か月も経たない内に亡くなってしまった。

福岡県の出身で、お姉さんが東京の国立駅の近所におられたので二人で上京した際に会ったが、その時に病気の兆候は一切なかったので信じられなかった。

彼の会話の中に日田市のことが多くあり、2年前の夏に日田市の豆田町を散策した際に無性に彼のことを思い出し、三隈川を観ながら懐かしさの涙が流れ出たこともあった。

私が葬儀の仕事に従事して間もなくの頃彼のお父さんが亡くなられて福岡へ帰省した際、何もできないからと「位牌と「お骨袋」を託したが、葬儀を担当された葬儀社の人が随分と驚かれたと聞いた。

数日前、3年前に亡くなった友人のお母さんから電話があり、友人のお骨の納骨について相談を受けた。お母さんも施設へ入られて過ごしておられるそうだが、納骨だけが気になっていると嘆かれていた。

お母さんのご主人は若くして亡くなられ、大阪赤十字病院へ向けに行った際に友人と会い、彼のお父さんが亡くなられたことを知った。

お父さんがされていた店舗をお母さんは番頭さんと一緒に経営されていたが、友人が後継してもずっと電話番をされており、取引先でもその存在は知られていた。

卓球、ボウリング、ゴルフとずっとライバル関係の続く友人だったが、第二警察病院電私が診察を受けて支払いを待っていたら、彼が名前を呼んで出現したのでびっくりしたが、胃がんで入院して全摘したので余命が短いと嘆いていた。

友人や知人の多くを見送ったが、病気の兆候に神経を使わなくてはなrず、何度も入院体験のある私は「病気と寿命は別物」という言葉を信じており、今日も朝から医院で診察を受け、両足裏の言葉で表現できない違和感を訴えてきたが、「血糖値が下がれば改善する」と言われ、また新しい薬を処方して貰って服用している。
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