2021-02-02

1テレビ番組を観て  NO 8698

昨夜の番組で「逆転人生」を観た。南阿蘇村にある「地獄温泉」が採り上げられていたが、熊本地震に続く豪雨の被害で壊滅的な被害を被り、現在は原点に立ち返り「湯治場」という状況でご苦労され、目前の利益を追わず、100年後にこの文化が残ることを願っているような言葉に感銘を受けた。

友人に全国の温泉を真わっと言う人物がいるが、そんな彼から勧められたのがこの温泉の手前にある「垂玉温泉」の「山口旅館」で20年ほど前に訪れたことがある。

熊本から国道57号線を別府に向け走り、熊本地震で崩落した阿蘇大橋を渡って南阿蘇村の付近に入り、高森へ向かう途中で狭い道を左折して15分ほど走ると到着したが、その道は途中ですれ違いが不可能な狭さで、前方から車が来ないことを祈りながら運転したことを憶えている。今日のニュース記事に「新阿蘇大橋」が3月7日に開通とあった。

その細い道路も地震で寸断されて開通するまでに4年かも掛かったそうだが、山口旅館の館内に「野口雨情」に関連する掲示があったことも憶えている。

そこから少し奥に行った所に地獄温泉があるが、地震で寸断されて孤立した際、ヘリコプターで救助される人々を映すニュース映像に驚いたことも憶えている。

肥後大津から大分側に向かうと、豊肥本線のスイッチバックの地点があり、その近くに白い建物のレストランがあって、阿蘇大橋を眺めながら何度か立ち寄ったこともあるので懐かしいが、まさか地震で崩落するとは想像もしなかった。

昨日、大阪警察病院からタクシーで天王寺駅へ向かっている時、上町筋で擦れ違った車にびっくり。それは初代クラウンのモデルそのもので、レアなクラシックカーだったからだ。

私が普通免許を取得するために通った教習所の車がクラウンで、1500ccと1900ccの2種類があった。

初めは1500ccのタイプで、慣れた頃に1900ccに替えられたが、クラウンなんて我々の羨望の存在だった。

伊勢神宮へ行った際、宇治山田駅のレンタカーで「クラウンエイト」を借り受けたが、幅の広い車で、怖々運転していたことも懐かしい。

俳優の「山村聡さん」と「吉永小百合さん」が起用されたクラウンのCMのことを憶えている。
「いつかはクラウンに」というキャッチコピーで、白いオーナーデラックスが88万円の広告があったのも目にした。

クラウンにロイヤルサルーンが登場した時に購入したが、乗り換えたクラウンは同じ2600ccだったが、排ガス規制から著しくパワーがダウンし、3台目は2800ccにグレードアップしていた。

後部座席のパワーリクライニングもびっくりだったが、後部座席の後方にエアコンに繋がる冷蔵庫があったことも憶えており、火葬場随行の際にはいつもリポビタンDを4本入れておき、お寺さんや喪主さん葬儀委員長さんに出していたが、何度か経験されたお寺さんが私が行くまでに取り出して下さったこともあり、夏の暑い時期には最高の飲み物だったと言われたこともあった。

3台のリヤルサルーンを経てセンチュリーに乗り換えたが、初代のセンチュリーは最悪で、前輪が空気バネになっており、空気が抜けてくると「シャコタン」状態になり、何度も空気を入れて貰ったことも懐かしい。

次のセンチュリーは素晴らしい車だった。「走る応接室」というキャッチコピーのように、静かで走行音も全く気にならなかった。その後に知人が12気筒のセンチュリーに乗っていたが、より静かになっていてエンジン音も聞こえなかったので驚いた。
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