2016-11-04

車のこと  NO 5019

センチュリー来春になると70歳を迎える。これまでの人生で多くの方々と巡り会ったが、大きな影響を与えてくださったことに手を合わせている。

普通免許を取得したのは18歳だった。初めて自分の車を購入した際のことだが、当時に中堅の運送会社の社長と交流があり、その会社の事務長が購入されるというマツダのファミリアに決定した。

納車日は数日の異なりがあったが、私の方が後になり、待ち遠しい思いで数日を過ごしていた。

ガソリンスタンドも紹介をして貰って関係することになったが、この社長さんの教えは予想もしていなかったことで、それを事務長さん自身がいつもボンネットを開けて実践していた。

それは車の清掃というのは外観、車内は誰もがするが、エンジンルームをいつも綺麗にしておくことが重要で、修理に出した時に整備スタッフがボンネットを開けたら驚くことになり、きっと大切に扱ってくれるというものだった。

そんなところから洗車する時はいつもエンジンルームを開けてワックスまで掛けていたことを憶えている。

当時のファミリアは4気筒800ccのエンジンで、最高速度が110キロと公表されていたが、その速度に達するのは名神高速道路の茨木から高槻への下りだけで、100キロで走るなんて信じられない世界だった。

4気筒エンジンにはそれぞれプラグが装着され。エンジンの基本であるガソリン燃料の「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」で爆発のための着火の電気位置が重要となっていたが、これがすぐに不具合が発生して3気筒になってしまったりするのでその修理の仕方も教えて貰っていた。

ある道路を走行していた時にエンジンに不具合が発生、少し広くなった路肩に停めてボンネットを開けて4本のプラグを外して確認したら、その内の1本が黒ずんでおり、整備道具の中に入れてあった紙やすりで調整をしたら何とか解決。走行を始めたら快調だったが、時速40キロに達した瞬間に予想もしていなかったハプニングが起きた。ボンネットの鍵が閉まっていなかったようで、風圧でボンネットが上がってしまい前方を確認出来るのはフロントガラスの下部の数センチだけだった。

驚いたのは言うまでもないが、すぐに停車してしっかりとボンネットを閉めたが、ボンネットの中央部が凹んでしまい板金修理して貰った時に事情を話したら大笑いをされた。

幸い事故にはつながらなかったので助かったが、すれ違った車が数台あったのできっとびっくりされていたと想像する。

車を運転していて少しタイミングが違ったら即死をしていた体験がある。25年ほど前のことだが、当時はトヨタのセンチュリーに乗っていた。台風の影響で風の強い日だったが、中国自動車道の池田インターから宝塚に向かっている時、3車線の追い越し車線を制限速度の100キロで走行していると、100メートルほど前方を走るトラックの積み荷が目に留まった。

建設機材であるコンパネを満載していたが、ロープが緩んで今にも落ちそうな感じがする。80メートルぐらいの車間距離になった時だった。一枚のコンパネが吹き飛ばされて前方に向かって来たのだから恐ろしいのは当たり前。そのコンパネは5メートル前方で縦にバウンドして私の車の上を後方へ飛んで行った。バックミラーで確認すると後方を走行していた乗用車もハンドル捌きで難を逃れたようだが、今でもその恐怖の後継が思い出される。

今日の写真はトヨタセンチュリーを・本当に走る応接室のような車で、知人が12気筒のタイプに乗せてくれたことがあったが、その静かな室内の進化に驚いた思い出もある。
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