2019-09-10

懐かしい思い出  NO 8575

jジェット船今日も歩いて来た。フラフラ感はどうしようもないが杖を手に移動出来ることに発病当時のことを考えてしまった。

昨夜に自宅の風呂に入った。いくつもある入浴剤の中から「銀山温泉」を選択し、白濁色の湯に入ったが、転倒だけはしないようにと手摺りをしっかりと握り、上せないように早めに出ることにした。

蛇口を回すことも出来る。シャワーを手にすることも出来る。タオルを絞れることも出来る。シャツのボタンなど着替えることも出来るし、ネクタイを結ぶことも出来る。これらの当たり前のことが出来るまでには大変なリハビリ挑戦もあったことが懐かしい。

退院してから3年ほど車やバスに乗ると気分が悪くなったので避けていたし、電車も進行方向に座れるシートでないと難しく、外の景色が動くのを目にすると気分が悪くなったことを憶えている。

先月の北海道行きでは同行していただいた友人に随分と助けて貰った。重いお土産を提げて貰ったり、階段やエスカレーターでフォローをして貰って本当に足すかって感謝している。この世に存命している内に返しておかなければならないことが一つクリアすることが出来たのでホッとした。

大病を患ってから小さなノートを持っている。それには行きたいところを中心に「たい」という欲望を連ねており、人生終焉の目的としてしたためている。

行きたい所に書いてあった「ニセコ」「津軽海峡のフェリーで渡ること」「トマム」「富良野」の文字の上に斜線を入れたが、「川湯温泉」「稚内」「知床」「阿寒湖」「摩周湖」が未だ残っている。

JRの新千歳駅に掲げられている地図の案内板が話題になっていた。北海道の地図に本州を重ねて比較したものだが、東京から名古屋までの距離でも北海道なら完全に治まってしまう。北海道の観光案内に道内の観光スポットを踏破するには1ヶ月を要すると見てびっくりしたこともあるが、実際に行ってみると本当に「でっかいどう」という実感がある。

函館から札幌まで「特急スーパ北斗」を利用しても3時間以上を要するし、300キロ以上もあるのでびっくりだ。同行していた友人が新大阪から新幹線なら東京や博多まで2時間半で行くと笑っていたが、3時間半の列車の移動は未体験だったようだ。

夕方、寺田町駅の近くで深いご仏縁のあるご住職と出会った。互いが満身創痍見たいな会話を交わし、「もうちょっとだけこの世に」なんて話して戻って来たが、お釈迦様の説かれた「四苦八苦」の言葉を改めて思い出した。

大病を患ってリハビリ入院し、退院してから間もなくにご住職のご母堂がご逝去され、喪主を務められたご住職から私に「会葬礼状の創作」を依頼されて大変な思いをしたことも懐かしいが、ご住職が檀家さんに法話をされた中で印象に残っていることがある。

『あるお寺の住職が最期はお寺で臨終を迎えたいと退院され、総代さんや檀家さん達を庫裏の病室に呼ばれ、皆さんが揃ったところで突然叫び出され、「あ~地獄に落ちる」と言われたので皆さんがびっくり。ずっと仏道を進まれたお方でも「地獄に?」と思われた方も少なくなかったみたいだが、しばらくすると「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えられ、「地獄もあるけど極楽もある。お念仏で救われた」と往生された』

そんな内容だったと記憶するが、ご終焉の時を悟られて最期のお説教をされたように思える話であり、私の脳裏にずっと焼き付いている逸話でもある。

私が主催したゴルフコンペにご住職が参加されたことがあった。30数名のコンペだったが、始球式は「あみだ籤」で抽選したら、ご住職に当たったのだが、まだゴルフを始められたばかりで心配していたら、不安が的中してしまい、見事に空振りをされて忘れられない思い出となっている。

始球式とは緊張するもので、私は九州地区の葬儀社団体の講演の翌日に行われたコンペで体験したことがある。コースは阿蘇の大津カントリー倶楽部で、雄大で美しいコースだったのでその後に何度か行ったが、始球式は見事にフェアウェイの真ん中に飛んだ。

女子プロの国内メジャー競技が兵庫県のチェリーーヒルズで行われるが、近くの交流のある人物がVIPメンバーで、日曜日でも我々ビジターをメンバー料金で何度もラウンドさせていただいたのでコースを憶えており、テレビ中継を楽しみにしている。

バブル期の象徴みたいなクラブハウスにびっくりしたが、ロッカーも個室だし浴室も同伴者のみの貸し切りで、洋風と和風があったことを憶えている。

今日の写真は前々号で掲載した瀞八丁のホテルの下で撮影したジェット船を。
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