2016-11-05

思い出の車  NO 5020

キャデラック前号で車のことに触れたが、現役時代は仕事や講演で全国各地に出掛けていた歴史があり、1週間で新幹線を5000キロも利用したこともあった。

車での長距離移動となれば、大阪から岡山、瀬戸大橋、松山道を経て道後で講演。次の日の朝に旅館を出発して八幡浜からフェリーで別府に渡り、九州自動車道で久留米から熊本へ行って同業者スタッフの教育。その日の午後7時に現地を出発して中国道を経て大阪に深夜の2時過ぎに戻って来たこともある。

その時に乗っていた車はキャデラックのフルサイズで、5700ccのエンジンを搭載した全長5ートル70センチというものだった。

アメ車は信じられないほどハンドルが軽く、それまでに乗っていたクラウンやセンチュリーの速度反応型ハンドルと全く異なる感触で、40キロの速度も100キロの速度でも同じだった。

友人や知人達から燃費のことを質問されたことが多かったが、市内走行では悪いけど高速ならリッター10キロ程度と言うと「予想以だなあ」と返されたものだ。

前に書いたことがあるが、ガソリンメーターの残量危険ランプが点灯したのでサービスエリアのガソリンスタンドで「満タンに」と頼んだら、事務所内で缶ジュースを飲んで車に戻ったらスタッフがしきりにトランクの下を覗いている。「何をしているの?」と聞いたら彼は「漏れていないか確認しているのです」と心配顔。給油メーターを観たら80リッターを超えている。そこで「満タン92リットル」と伝えたらホッとしていた。

センチュリーもキャデラックもハンドル横に変速器があるタイプで、どちらも全身4段のオートマチックだったが、センチュリーは時速42キロでハイトップに入るのにキャデラックは時速32キロでハイトップに入ったので、それだけトルクのパワーが強かったのかもしれない。

友人、知人、近所の方々から乗せて欲しいと懇願されたことが多かったが、冗談で「喪主か葬儀委員長になったら火葬場の往復で乗れるよ」と笑いながら話すこともあった。

この車で地震に遭遇したことが多かったことも不思議である。福岡県を震源地とする地震を熊本インターの本線へ入るカーブで体験してびっくりしたが、この時の震度は「4」だった。

それから山陽道で広島県内を走行中に「芸予地震」に遭遇。しっかりとハンドルを握っていなかったらガードレールにぶつかっていたかもしれないほど恐ろしい体験だった。

地元を走っていて赤信号で停車している時、変な揺れがあって気分が悪くなった出来事もあった。それは「震度3」の地震で電線が大きく揺れているのを目にして理解した。

今日の写真はキャデラックを。
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