2009-05-27

懐かしい思い出から  NO 2433


  九州の女性司会者のブログ「MAMADIARY」の更新が始まっていて安堵。お父様のご逝去で悲しみにくれていた彼女が綴る文章に、お父様にゆかり深い海 軍旗を手作りされてお柩の上に置かれたとあり、「よかったね!」と手を合わせたが、その葬儀に参列してくれた愛媛県の塾生のブログ「愛するこどもたちへ」 にもそのことが触れられてあった。

彼女とは、この「独り言」を通じた「えにし」で知り合ったのだが、初めて会ったのは大阪市立葬祭場「やすらぎ天空館」だった。

 当時「隠れ家」と称した私の部屋には様々な音響システムが置かれ、瞬時に映像に録音可能という特殊な設備もあり、私を知る人達の憧れの場所となっていたという歴史がある。

 そこへ彼女を迎える約束の日、上述の式場で行われるご葬儀の司会を担当することとなり、スタッフから彼女に「天空館へ」と変更のメールを送信して貰っていた。

  その葬儀で予想もしなかったお寺様が遅れるというハプニングが発生、開式の時間から約20分間、女性スタッフにも手伝わせ、アドリブ中心で私が語る世界で 進めたのだが、葬儀を終えてから事情を知らない彼女が「大阪の葬儀って、いいですね!」と言われたことを今でもはっきりと憶えている。

 今日、その天空館で、あるお客様のご葬儀が行われていたが、何かとハプニングが発生する不思議な式場なので「問題ないように」と昨日から病室で手を合わせていたのである。

 さて、上述の2人のブログに何度か登場したのが私が当時に乗っていた車で、今、問題になっているアメリカGM社の「キャデラック」のフルサイズ車であった。

  2台のセンチュリーから乗り継いだ車だが、ご葬儀に丸型は似合わないとの考えから、輸入車を扱うヤナセで角型を探して貰い、「やっと1台だけ見つかりまし た」と新車で納入されたのが写真の車で、全長5メートル70という如何にも「アメリカ車」というスタイルのものだった。

 当時、司会のご 仏縁に結ばれたお客様を火葬場まで随行していたところから、お寺様、葬儀委員長、喪主様にご同乗いただけるという発想で上述の車を準備していたのだが、一 般道路でセンチュリーが時速42キロでハイトップにギアチェンジされたのに比べ、キャデラックは時速32キロで入るというトルクの強さにびっくり。

団塊世代のお寺様や喪主様から「一回は乗ってみたい車でした」とのお言葉が多かったが、GMがあんなことになるとは衝撃で、一抹の寂しさを覚える出来事でもある。

 夕方、妻を伴って自主トレ。それは「看護師さんか家族同伴」という条件があった「階段」での歩行練習。手摺りや杖を使って上下を繰り返し、ついでに売店に行ってお茶を買ってきた。

明日のリハビリは9時5分ST、14時10分OT、16時20分PTとなっているが、果たして自主トレの効果があるのだろうかと期待半分というところである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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