2016-02-14

蕎麦好き人生  NO 4466

車内限定販売の弁当前号で新世界の「づぼらや」や「いづもや」のことに触れたが、何十年も昔のことで思い出したことがあった。10年以上前に閉館した千日前の映画館「スバル座」を東に入った所に「喜楽別館」という施設があったことを憶えている、最上階が大浴場になっており、階下では「すき焼き」などを食べられるようになっていた記憶がある。

この業界に入った当時に組合の長老達に聞いたことがあるのは宗右衛門町の料亭「いろは」を組合の集まりでよく利用していたということだが、何度か行った思い出もある。

宴会の部屋の窓から道頓堀が見えたが、当時から美しくない川だった。会席料理が苦手で病的な偏食があったところから「「いろは」を終わってから東へ行くと角に「蕎麦屋」の店舗があり、いつも立ち寄って蕎麦を食べていた。

宗右衛門町筋と堺筋の交差点にも蕎麦の店舗があり、何度か入ったことがあるし、道頓堀にある場外馬券売り場の前にあった「更科」や三津寺筋にある「わら屋」もお気に入りの蕎麦店だった。

因みに書いておくが、御堂筋の角にある「三津寺」は真言宗御室派のお寺であり、開山されたのが随分と古い古刹である。

このお寺のすぐ近くにあるビル内で知られる飲食店があったが、共同経営をされていた人物が若くして亡くなられ、無宗教で私に葬儀を依頼して欲しいという遺言から担当した思い出も忘れられない。

その前夜式に著名な人物のお母様が参列され、「もしも私が亡くなったら、あんな葬儀を」と息子さんに託されていたそうで、ご逝去されてご依頼を受け無宗教形式と思っていたら神式の葬儀をご希望され、大阪で誰もが知られる神社の宮司さんにお願いすることになった。

その時の葬儀当日、喪主を務められた方から開式前に呼ばれ、「テレビ番組の生放送に間に合うように京都へ行きたいけど、何時に終わるか?」と聞かれ、天王寺駅から「特急はるか」を利用されると便利とアドバイス。憶えていた発車時刻を申し上げたら驚かれ、「君はどうしてそんなことを知っているのだ?」と聞かれたので、東京や博多方面へ新幹線を利用する時は乗り継ぎ割引きが適用されるので利用していると返すと「初めて知った」とびっくりされていた。

そんな事情で火葬場までお見送りされることは出来なかったが、ご出棺時に手を合わされていたお姿が印象に残っている。

最近は交差点に立つ葬儀の式場案内の看板を目にすることが少なくなった。家族葬が増えた事情を顕著に物語るものだろうが、家族葬を要望されて他府県から参列されるご親戚用として駅前看板を準備して欲しいということから準備したら、このことからご当家の葬儀が知れ渡って参列者が一気に増えたケースもあった。

自宅葬が当たり前だった時代は、俗に言われる「指さし」という案内紙を電柱に貼ることも多かった。この役をされるのは近所の方で、通夜や葬儀の時間が決まると「まだ届いていないぞ」と催促の電話を頂戴することもあった。

昔、予想もしなかった出来事があった。大阪環状線の寺田町駅には阿倍野区、生野区、天王寺区に跨っているところからお寺や地域会館で葬儀が行われることが多く、式場案内の看板が設置される頻度も高かった。

そんな中、弊社のエリアではないお客様から葬儀の依頼の電話があり、参上した担当者が帰社してびっくりすることを教えてくれた。

「寺田町駅で目にされる看板で、弊社のものがセンスがよい」ということで、それが業者選びのきっかけになったという事実だった。

今日の写真は過日に利用した「特急 ゆふいんの森」車内限定の駅弁である。
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